ずっと曇りだ。
カラカラと陽が上りくる朝明けの神秘的なり揺るるひかりに
朝あさにズボンはくとき難がある交差していつも足ぬけけがたし
けさもまた朝食の後にくすりを服み水をのみ一錠四度それをす
一本の木が庭にありにけり大き葉に隠されし無花果の実
五月半ばに大き広葉のいちじくに実が隠れたり太りたる実が
『論語』子張一五 子游曰く、吾が友張(子張)や、能くし難きを為す。然れども未だ仁ならず。」
わが友子張よなかなかにできにくきことをやりとげるもの
前川佐美雄『秀歌十二月』三月 吉井勇
君にちかふ阿蘇の煙の絶ゆるとも万葉集の歌ほろぶとも (歌集・酒ほがひ)
前の歌とともに『酒ほがひ』のなかでももっとも有名な歌の一つだ。(略)一般世間の共有物になりきってしまったもの、これが名歌だ。(略)勇に名歌が多く、名歌に近いものの多いのは、歌がそれだけすぐれているためで、よい意味の大衆性に富んでいることを物語る。(略)それと同時に過去から未来に通じる悠久のしらべといったようなものがどことなしにある。(略)それが今日においても人気のすたらないのは、そういう悠久のしらべがあるためだ。(略)
勇の歌を白痴美だといった戦後の歌人だ。そういうことに頓着せず、そいうものを含んで勇の歌は大きいのだ。そうして鷹揚である。大きかった彼のからだとまったく同じである。
最後に書いてあるように前川佐美雄は、吉井勇を実地に知っているのだ。その歌の朗誦されたり、読まれて心地よきことも。では、私たちはどうか、もっと若い世代はどうだろうか。こんな手放しで褒めることはできないし、ほとんど吉井勇を読んでいないだろう。どうしてこんなことになっているのか。私の父の世代では、宴席での朗誦を聴くことがあった。
そういえば岡野弘彦先生も、啄木や勇の歌を朗誦していた。