2025年5月15日(木) 五・一五事件(1932年)から九十三年になる。この事件をきっかけに軍部独裁がはじまりやがて欧米との滅亡的な戦争に入る。

今日も晴れ、25度くらいになるらしい。

ちょっと前のことだが、

  つつじの花二輪がひらくマンションの近くの垣に隠れるやうに

  躑躅に花の着けはじめ近傍の公園に赤き花咲く

  とびとびにつつじ花がひらきゆくそろそろ季節の変り目ならむ

『論語』子張一八 曾子曰く、「吾れ諸れを夫子に聞けり、孟荘子(魯の大夫)の孝や、其の他は能くすべきなり。其の父の臣と父の政とを改めざるは、是れ能くし難きなり。」

猛荘子の孝行は、ほかのことはまだまねもできるが、父親の臣下と父親の治め方とを改めないというのは、これはまねのしにくいことだ。

孔子が珍しく猛荘子を褒めているということか。

  猛荘子を褒めたるか孔子よ父に孝、父の臣と政あらためざるは

前川佐美雄『秀歌十二月』三月 藤原定家

大空は梅のにほひに霞みつつくもりもはてぬ春の夜の月 (新古今集)

この歌の本歌といわれる大江千里の、

照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき (新古今集)

がうまいぐあいに説明してくれる。これは新古今集にでているが、千里は新古今代の人で、白楽天の嘉稜春夜の詩「明ならず暗ならず朧朧の月」の心を詠んだものだから、定家のこの歌も千里を通じて白楽天へまでたどれるわけだ。(略)しかし千里はまずい結論をつけて、古今集ふうの悪いくせを出したのに反し、それを踏まえたとはいえ、本歌とは似ても似つかぬ、身も心もまったく異なる、このような秀歌をなしえたのはさすが定家だ。春の朧月夜の情景を詠んでこれほど完璧、これほど高尚の作は、あとにも先にもないといいたい。

(略)結句は「春の夜の月」と体言止めで余情を残した。そこで思い出されるのは蘇軾の詩「春夜」だ。

春宵一刻直千金 花に清香有り月に陰有り 歌管台声細細 鞦韆 院落夜沈沈

吟唱していると情景が目に浮かぶ。美しい春宵の情景が手に取るように見えてくる。けれど定家の歌はさだかにはなにも歌われていない。それを象徴して情趣だけが歌われている。しかも空、梅、におい、霞、春、月など、なんの奇も変哲もないありふれたものの組み合わせだけれど、いずれももっとも美しいものばかりだ。(略)最高級の材料のみをもって処理した、これはまこと にぜいたくきわまる歌だ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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