朝のうち、ちょっとだけ曇りだった。ゴミ捨てに。やがて雨が降りだす。夕刻からまた曇りらしい。
六十九歳である。五十歳を目前にして悪性リンパ腫と診断され、再発を経て、昨年から三回目。発話、書記、歩行に不具合が残る。この症状というか不具合は完全には治らないらしい。ああ、やだねぇ。
ここ数日プレゼントのような本が送られてくる。一冊は森山さんから『戦後京都の「色」はアメリカにあった!』。戦後、進駐軍がパーソナルに撮った写真集。それに、これは贈物ではないが砂子屋書房から『佐竹彌生全歌集』をいただいた。どちらも嬉しいのだ。
赤茶けた芽がいつのまにか真みどりに変りてやがて朱の濃き花
何本も並べ植ゑたる百日紅しんねり曲がる枝に花着け
毎年のやうに幻想するこの幹にこの枝に猿がおっと滑る
『大学』第二章 一 謂はゆるその意を誠にすとは、自ら欺く毌きなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くする、此れを自ら謙すと謂ふ。故に君子は必ずその独を慎しむなり。
小人閒居して不善を為し、至らざる所なし。君子を見て、而る后厭然としてその不善を揜ひてその善を著はす。(然れども)人の己を視ることその肺肝を見るが如く然れば、則ち何ぞ益せん。故に君子は必ずその独を慎むなり。
曾子曰く、「十目の視る所、十手の指さす所、其れ厳なるかな」と。富は屋を潤し、徳は身を潤す。心広ければ体も胖なり。此れを中に誠なれば外に形はると謂ふ。故に君子は必ずその意を誠にす。
君子なれば身を慎みて誠なす心をひろく持つべきならむ
やはり自分なりの解として短歌のかたちにしておこうと思う。
前川佐美雄『秀歌十二月』四月 加納諸平
旅衣わわくばかりに春たけてうばらが花ぞ香に匂ふなる (柿園詠草)
「わわく」はハララク、バラバラになる、破れ乱れるぐらいの意。「うばら」はイバラ(茨)で、ここは野イバラ、野バラをさしている。長い旅をしているものだから着物もすり切れてぼろぼろになった。そうだ、春がふけたのだ。まっ白に咲いた道ばたの野バラがやるせないばかりきつく匂うている。と、それも駕籠などを用いず、ひとりぶらぶらと歩いて行くらしい気楽さを、またそれとなく旅愁の情にふくめて歌っているのである。気分がよく出ていて、感情も感覚もともに現代人に近いようだ。「旅衣」の語さえなければ、今の人の歌としても通用しそうである。(略)どことなしに人間がくだけていて、庶民的な感じがする。江戸時代も末ごろの何か近代を思わせる。
諸平は遠州の人夏目甕麿の子だが、飛んだことから和歌山の加納氏に養われて医業を継いだ。とんだことというのは甕麿は酒飲みだったからだ。本居宣長の弟子で国学を修め歌を作る人であったが、詩人でありすぎたようだ。子の諸平をtれて諸国を旅行し摂津まで来た時、酔っぱらったあげくに、子や友人のとどめるのも聞かず、月をつかまえるのだといって池に飛び込んで溺死した。この父の血が諸平に流れているのはあたり前だが、医業を継ぎながら宣長の養子の本居大平につて歌学を修め、諸国から詠歌を集めて『類題鰒玉集』を編したりして歌名しだいに高まり、藩命によって紀州国学所の教授もつとめた。安政四年、五十二歳で没している。(略)家集『柿園詠草』によって歌人諸平があるのである。(略)しかし輝く歌人はやはりる。その中の随一人が諸平だといえるかもしれない。この歌はそういう諸平が遠州に母をたずねて行く時の歌である。ひとりでいる母をはるばるとたずねて行くのである。それを思ってこれを読むなら、この「旅衣わわくばかりに」が普通でない思いもさせるようである。