2025年6月6日(金)

朝から気温も上がっている。もちろん晴れだ。

  うすぼやけた夕暮の山このままに薄桃色の空暗くなる

  ペットボトルの麦茶の量が極端に減りゆくは誰か飲むものがゐる

  あたり一帯乾燥したるか咽喉乾く暇があれば麦茶のむなり

『大学』第五章一 所謂国を治むるには必ず先づその家を斉ふとは、その家を教ふばからずして能く人を教ふる者は、これ無し。故に君子は家を出でずして教へを国に成す。孝とは君に事ふる所以なり。弟とは長に事ふる所以なり。慈とは衆を使ふ所以なり。唐誥に曰く、「赤子を保んずるが如し」と。心誠にこれを求むれば、中らずと雖も遠からず。未だ子を養ふことを学んで后に嫁ぐ者はあらざるなり。

一家仁になれば一国仁に興り、一家譲なれば一国貪戾(たんれい)なれば一国乱を作す。その機此の如し。此れを、一言事を(やぶ)(敗)り、一人国を定む、と謂ふ。

堯・舜は天下を率いるに仁を以てし、民これに従ひ、桀・紂は天下を率いるに暴を以てし、民これに従へり。その令する所その好む所に反するときは、而(則)ち民従はず。是の故に君子は諸れを己れに有らしめて而る后に諸れを人に求め、諸れを己れに無からしめて而る后に諸れを人に非(誹)る。身に蔵せる所恕せずして、(すなは)も能く諸れを人に喩す者は、未だこれ有らざるなり。故に国を治むるにはその家を斉ふるに在るなり。

  一国を治むるは「赤子を保んずるが如し」家を斉ふるに在るといふべし

前川佐美雄『秀歌十二月』五月 土屋文明

戦死せる人の馴らしし斑鳩の声鳴く村に吾は住みつく (歌集・山下水)

「斑鳩」は今はヤマバトぐらいに解しておく。「人の馴らしし」は飼いならしたということであろうが、これも勝手な解釈をして「手なづけた」というぐらいにしておく。そうでないと鳥かごの中に飼われている斑鳩が鳴いているようで、歌がらが小さくなるからだ。戦死した青年は、善良な人がらだったのだろう。その村の森や林に遊びにくるヤマバトを可愛がって撃つなと人びとをいましめていた。みずからは餌などもまいて手なずけることに努力したのだろう。そのかいあって季節になると毎年その鳥がやって来て呼ぶように鳴くが、その青年は永遠に帰って来ない。食べられるものなら何でも食べた食糧難の戦中戦後だ。ゆかりを求めてかろうじて住みついた山村に、

  かく無心なる斑鳩の鳴く声を聞いて感慨にたえられなかった。

昭和二十年五月、青山一帯が爆撃された時、アララギ発行所とともに文明の家も焼夷弾に焼けた。それからまもなく群馬県吾妻郡の故郷に近い原町川戸に疎開して終戦を迎えた。この歌集『山下水』は、疎開の日からはじまって翌二十一年の末までで終わっているが、これは「川戸雑詠」と題する中の一首で、歌集全体が川戸雑詠であるといってもよいほどに山峡僻地での国破れて山河残る自然や、人生のさまざまを丹念かつ克明に歌っておびただしい数にのぼる、それら全部の作の序歌の役をなすかのごとく、まことに思いが深い。

結句「吾は住みつく」は、そっけなく、無愛想のようにも感じられるが、ムダをいわず、よけいな語をはぶくという、文明としてはこれがぎりぎりだ。時には過ぎて詰屈感をもたらす場合がないではなかった。いやしばしばあったと思われるけれど、この『山下水』ごろになるとそれが次第にかげをひそめる。かげをひそめたのではなく、

目立たなくなったというのが本当で、これは文明がその自身の文明調をようやく完成せしめて行ったことを物語る。

(略)かつて私が、あたかも丸太ん棒を振りあげて犬ころをたたきふせているみたいだ、とその歌を評したことがあるが、そういう時期がたしかにあった。しかし、『山下水』あたりになると、そういうものを一切ふくめて完全に自家薬籠中のものにした感がある。(略)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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