朝、周辺が靄でかすんでいた。
今村翔吾『童の神』読了。平安時代の差別なき世の中を目ざして戦う虐げられたものと権力との葛藤が筋になっている。まずテーマが私の好みだし、この差別の構造は現代にも通ずる。酒呑童子じいと呼ばれるようになる主人公が登場、それが「童の神」なのだ。その戦いの顛末おもしろかった。
昨夜雨、朝よく晴れてここちよし今日一日の穏やかであれ
雨に濡れみどりの葉々にしづくありあればあざやぐ夏の木ならむ
つつじの花の萎れてしぼむに五月には赤きつぼみの少し覘く
『大学』第六章四 財を生ずるに大道あり。これを生ずる者衆く、これを食らう者寡なく、これを為る者疾く、これを用うる者舒かなれば、則ち財は恒に足る。仁者は財を以て身を発し、不仁者は身を以て財を発す。未だ上仁を好みて下義を好まざる者は有らざるなり。未だ義を好みて其の事の終えざる者は有らざるなり。未だ府庫の財其の財に非ざる者は有らざるなり。
孟献子の曰く、「馬乗を畜へば鶏豚を察せず。伐冰の家には牛羊を畜はず。百乗の家には聚斂の臣を畜はず。其の聚斂の臣あらにょりは、寧ろ盗臣あらん」と。此れを、国は利を以て利と為さず、義を以て利となす、と謂ふなり。
国家に長として財用を務むる者は、必ず小人を自ふ。彼はこれを善と為へるも、小人をしてを為くっかはめしむれば菑害並び至る。善き者ありと雖も、亦たこれを如何ともするなきなり。此れを、国は利を以て利と為ず、義を以て利とす、と謂ふなり。
国歌は利を以て利と為さず義を以て利とすべきなり
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 石川啄木
東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる (歌集・一握の砂)
明治四十三年十二月刊行の『一握の砂』の巻頭歌。有名な歌であるから知らぬ人とてなかろうけれど、函館市外の立待岬にある墓碑に刻まれている。(略)そこで作った歌だときめつけてしまうことに異存がある。啄木自身は何もいってはいないのだし、いっていないからこそかえって自由に読者はその「東海」を、「小島の磯」を思いえがいて、存分に歌の心にはいりうるのだから、よけいな穿鑿はせぬことだ。啄木の真意にそむこなかれと注意を促したい(略)一首の意は明らかである。「東海の小島の磯べの寄せては返す波うちぎわの白砂の上に、自分は涙に泣きぬれながらこのようにカニと遊びたわむれている」と、たわいないしぐさを正直にいい放ってひとり嘆きをしているのである。(略)啄木は正直なのだ。純粋なのである。(略)人生に対して誠実だ。生きあえぎながら真実を求めて四苦八苦、七転八倒している。それがいいようもなくあわれであるから、いっそう心に沁みるのである。
(略)何よりも調べが明朗である、豁達でさえある。「東海の小島の」と大きくほがらかに打ち出したしらべは「蟹とたはむる」の終りまでかたくもならず弱くもならず、こころよい声のひびきを立てておさまるのである。啄木の歌は、たといそれがどのように苦しくみじめな生活を歌っていても、暗い感じは少しもしない。かえって明るく、したがっていとわしい思いはしないのである。啄木の歌がひろく愛誦せられる所以の一つは、こういうところにもある。