朝、雨。やがて曇り、晴れらしい。しかも暑くなるようだ。
原田ひ香『その復讐、お預かりします』を読む。軽い読み物だが、心に残る。美菜代と成海慶介との復讐屋の仕事のあれこれ。ほとんど復讐はしないのだが、それが復讐につながる。最後の五話は、美菜代の復讐譚だが、成海の優しさを引き出して、ロマンチックな色合いもある。たのしい読書の時間であった。
太陽が雲のむかうにぼんやりと浮かぶがごとく上りくるなり
くもり空のつづく日ありてけふ明るく青空よろこぶ私がゐる
雲の切れ間に青空、そして太陽が覗くときありうれしきごとし
夏つばきの枝に小さな花つけて風にさゆらぐ中庭の木は
愛らしき小さき花を咲かせたり沙羅の木の枝、釈迦が降り来
『中庸』第二章一 仲尼(孔子)曰く、「君子は中庸し、小人は中庸に反す。君子の中庸は、君子にして時に中すればなり。小人の中庸に反するは、小人にして忌憚するなければなり」と。
子曰く、「中庸は其れ至れるかな。民能くする鮮きこと久し」と。子曰く、「道の行なわれざるや、我れこれを知れり。賢者はこれに過ぎ、不肖者は及ばざるなり。人は飲食せざるもの莫きも、能く味を知るもの鮮きなり」と。
子曰く、「道は其れ行なはれざるかな」と。
中庸―鄭玄(古注)は「庸」を作用と解し「中和の働き」をいうとしたが、朱子(新注)は「中とは不偏不椅で過・不及のないこと、庸とは平常(平凡恒常)の意」とした。偏りのない平常で程のよい中正の徳をいう。
君子は中庸の徳を守るが小人には分からず正道は其れ行なはざるか
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 柿本人麿
荒栲の藤江の浦に鱸釣る泉郎とか見らむ旅行くわれを (同・二五二)
「荒栲の」は藤にかかる枕詞。藤江の浦は現在明石市大久保町のへん、昔はそこまで海が入りこんでいたのだろう。「泉郎」はもと部族の名、「海部」でも「海人」でもよいが、漁人、漁夫と解しておこたい。スズキは夏から初秋へかけての魚だし、前の歌の「夏草」と季節もあうし、共に近くの海の歌だから、これは同じ旅行の時の歌なのだろう。第四番目に置かれてある。ことばどおりに解すると、肱江の浦でスズキを釣っている漁夫と見るのであろうか、旅行く自分を、ということでこれもそっけないみたいだが、前の歌にくらべて深い旅情が感じられて、歌も一段とすぐれているように思われる。(略)第三者の立場から自分を見ているので、反省というほどではないにしても、他国の海をゆく自分をふりかえり、わびしい思いをするとともに、その漁人を親しいものと考える。おそらく声をかけて挨拶でもして過ぎたのだろうが、めずらしく心のこまやかな歌である。表に出して多くをいわず、余情に託したのがこの歌のよいところ、八首中いちばんおもむきが深い。
稲日野の行き過ぎがてに思へれば心恋しき可古の島見ゆ (同・二五三)
留火の明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず (同・二五四)
天離る夷の長路ゆ恋ひ来れば明石の門より倭島見ゆ (同・二五五)
飼飯の海の庭好くあらし刈薦の乱れ出づ見ゆ海人の釣船 (同・二五六)
あとにつづく歌で、いずれもすぐれている。このうち「天離る夷」の歌は西から帰ってくることがわかる。しかし「飼飯の海の」歌をなぜこのあとへ置いてあるかがわからない。