今は曇りだが、晴れて29度になるらしい。
邪悪なる心は誰のうちにもある人を殺してよろこぶ心
夏木立見上げてこころみどりなりこのみどり少し濁りがあらむ
さがみ川の青く見ゆる日わが知らぬ一人溺れて死すといふなり
『中庸』第二章二 子曰く、「舜は其れ大知なるか。舜は問ふことを好み、而して邇言を察することを好み、悪を隠して善を揚げ、その両端を執りて、その中を民に用ふ。それ斯に以て舜と為すか」と。
子曰く、「人は皆な予は知ありと曰ふも、駆りて諸れを罟擭陥穽の中に納れて、これを辟くるを知ること莫きなり。人は皆な予は知ありと曰ふも、中庸を択びて、期月も守ること能はざるなり」と。
孔子言ふ舜はまさに大知なりわれに知ありと人言へど舜には及ばず
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 北原白秋
紫蘭咲いていささか紅き石の隈目に見えて涼し夏さりにけり (歌集・雀の卵)
紫蘭はラン科の多年生草、初夏葉心より花茎を出し、紅紫色の数花をつける。小さい花で、アヤメやショウブのようにはでではないが、そのいくぶん黄色の勝ったみどりの葉とともに、いかにも初夏らしい感じの花だ。ふと気がつくとシランの紅紫色の花が咲いていた。それがさんさんと輝く五月の午前の日に反射して、いささかながら庭石のかげもうっすらと紅みがさしているような気がしたのだ。ここがこの歌のいちばんだいじなところだが、それを「目に見えて」と受け「涼し夏去りにけり」と「き」をはぶいて「涼し」と終止形にしてあっさりと詠嘆した。この「さりにけり」は去るのではなく、ここでは来るの意、万葉集でも去る、来る両方に使いわけている。ここでは夏が来た、夏になったことをいっている。
この歌は第三歌集『雀の卵』のうち「葛飾閑吟集」の部に出ている(略)第三歌集『雀の卵』に至って、白秋成長せりの感を深うする。(略)さまざまな苦悩をなめて、白秋はかえって成長した。天与の質をそこなうことなく、いっそうりっぱになって行った。この「紫蘭咲いて」の歌は、それをはっきり物語るものだ、白秋ならではのすぐれた諸特徴をあらわしながら、しかも歌におちつきが加わり、いかなる人にも愛せられる、清澄のしらべをなすに至った。