2025年6月18日(水)

今日も朝から猛暑である。

  にんげんとはどうしようもないもの世界中どこにおいても戦乱たへず

  善良なる心のいつか無くなりぬ包丁持てば殺したくなる

  こころには常に殺意がうずくまる平生はごくふつうの顔して

『中庸』第二章四 子路、強を問ふ。子曰く、「南方の強か、北方の強か、(ある)ひは(なんじ)の強か。(かん)(じゅう)以て教へ、無道にも報ひざるは、南方の強なり。君子これに(お)る。金革を(しきもの)とし、死して(いと)はざるは北方の強なり。(なんじ)の強者これに居る。故に君子は和して流れず、強なるかな矯たり。中立して(かたよ)らず、強なるかな(きょう)たり。国に道あるときは塞を変ぜず、強なるかな矯たり。国に道なきときも死に至るまで変ぜず、強なるかな矯たり」と。

子曰く、「隠れたるを索め怪しきを行なうは、後世に述ぶること有らんも、吾はこれを為さず。君子は道に(したが)ひて行ふ。半途(はんと)にして廃するも、吾は已むこと(あた)はず。君子は中庸に依る。世を(のが)れて知られざるも悔ひざるは、唯だ聖者のみこれを能くす」と。

  孔子がいふ中庸こそを執るべきなり挫折ありても已むことなしに

前川佐美雄『秀歌十二月』六月 弓削皇子

古に恋ふる鳥かも弓弦葉の御井の上より鳴きわたりゆく (万葉集巻二・一一一)

持統天皇の吉野行幸に従駕した弓削皇子が、京(明日香か藤原)にとどまっていた額田王に贈った歌である。これに対して額田王は、古に恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きしわが恋ふる如 (同一一二)

と和して答えているから、この鳥はホトトギスであることがわかる。(略)ホトトギスは昔のことを思って鳴く鳥だといわれる。(略)「弓絃葉は、今のユズリハで、新年の儀の注連縄などにいつける交譲木である。「弓絃葉の御井」は固有名詞のような感じがする。その井のほとりに老樹のユズリハがあったので、そう呼びなしていたのだろう。吉野川沿いであるから井はむろん走井で、清水の流れ出る泉であろう。(略)一首の意は、「昔のことを恋いしとうている鳥なのであろうか、そのホトトギスが今のユズリハの井の上を鳴きながら飛んで行くよ」というので、それがどういう意味をこめて歌われたか知らなくても、このままでよくわかるだけでなく、すがすがしい感じの調べの妙味じつにいうべからざるほどのものである。この下の句のおのずからなる、写実など超越して自然と人間とがまことに一如に帰したがごとき息づかいである。はじめから意味を含ませようとしたのではない。その情景を見て昔のことを思い出したのだ。弓削皇子は天武天皇の第六皇子、この時の皇子はまだ三十にならぬ青年だが、額田王は六十を超えている。(略)皇子にすれば額田王はよきおばさまのように思われて親しくしていたのだろう。その二人が天武天皇時代を恋いしたうのは当然である。だから「古に恋ふる鳥かも」の一、二句にこめられた思いは深く、それに答えた額田王の歌は皇子のよりは幾分調べは低いようだが、やはり自然な感情がよく出ていると 思われる。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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