三日続けて、今日も猛暑だ。耐えられぬ。
朝の日にかがやくあけぼの杉の木に挑みたくなるその幹に触れ
久々に初夏のみどりに圧倒され誰か殺さむと思ふときあり
闇の中にまた闇があるその奥に血潮したたる一隅がある
『中庸』第三章一 君子の道は、費にして隠なり。夫婦の愚も、以て与り知るべきも、その至れるに及んでは、聖人と雖も、亦た知らざる所あり。夫婦の不肖も以て能く行なうべきも、その至れるに及んでは、聖人と雖も、亦た能くせざる所あり。天地の大なるも、人猶ほ憾む所あり。故に君子大を語れば、天下能く載すること莫し。小を語れば、天下能く破ること莫し。詩に云ふ、「鳶飛んで天に戻り、魚淵に躍る」と。その上下に察るを言ふなり。君子の道は、端を夫婦に造め、その至れるに及んでは、天地にも察るを言ふなり。
君子の道は端を夫婦にはじめその究極は天地の果てまで
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 弓削皇子
滝の上の三船の山に居る雲の恒にやあらむとわが思はなくに (万葉集巻三・二四二)
同じ弓削皇子が「吉野に遊しし時」の歌だが、前の歌と同じかどうかはわからない。多分ちがうのであろう。「滝の上」は滝のほとり、または急流のほとりという意味にとられているが、文字通り滝の上、急流の上と頭に感じとってもよい。吉野の宮滝の地の、吉野川をへだててすぐ南すこし東にそびえる山が現在三船山といわれている。はたして昔のままかどうかはよくわからない。
滝の上の三船の山にはいつも雲がかかっている。あの雲のように変わることなくいつまでもこの世にある命とは思われない、と人の世をはかなんでいる。中世のいわゆる「無常感」とは違うけれど、しかしこれはやはり人間共通の無常感を歌っているので、それをいうのに山にかかっている雲である。漠々とはしているけれど、また大いなる感慨である。飽きることなく、いつまでも鑑賞にたえうる歌である。これに対して春日王は次のように和している。
王は千歳にまさむ白雲の三船の山に絶ゆる日あらめや (同・二四三)
弓削皇子は文武天皇三年七月に亡くなっている。