少し涼しかったが、やがて暑い。
こがらすが跳ぬるが如く楽しげに何か咥へて嬉しさうなり
こがらすが尻尾ふりふり跳ね歩く追へばたちまち線路の彼方に
舗道上をちょこちょこ歩くはすずめなり虫のやうなるものを咥へて
『中庸』第三章二 子曰く、「道は人に遠からず。人の道を為して人に遠きは、以て道と為すべからず。詩に云ふ、「柯を伐り柯を伐る、その則遠からず」と。何を執りて以て何を伐る、睨してこれを視るも、猶ほ以て遠しと為す。故に君子は人を以て人を治め、改むるのみ。
君子とは身近なる人の道により人を治めて人を責めず
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 吹黄刀自
河上の五百箇磐群に草むさず常にもがもな常処女にて (万葉集巻一・二二)
「河上」は「カハカミ」とも訓む。どちらでもよいが、私は「カハノヘ」の方が好きだ。川のほとりの意である。「五百箇磐群」はたくさんの岩のむらがりと解してよいが、「ゆづ」に「斎ふ」の意があり、霊魂をもっているような巨石巨岩をいう。「草むさず」は草がはえないこと。「常にもがもな」は常に変わりなくあってほしいなあ、という願望に感動をこめている。「常処女」はいつまでも変わらない可愛い少女という意味で、いまでいう「永遠の処女」などとは違っている。じつによい語で、私の愛惜する古語の一つである。「草むさず」までは「常に」というまでの序歌だが、一首の意は、河のほとりにむらがっている霊ある巨岩に草などはえないように、いついつまでも変わることのない美しい処女であってほしいものです、ということになる。
天武天皇の四年春二月、十市皇女が伊勢神宮に参拝した時、皇女に従って行った吹
黄刀自が、波多の横山の巌を見て詠んだ歌である。(略)吹黄刀自はほかにも歌はあるがいかなる人かわかっていない。けれど刀自はかねてより十市皇女にふかく同情していたようだ。それで横山の霊ある岩を見て、いつまでも若く美しい処女であっていただきたいと祈ったのだ。単純といえば単純だが、その願いが一本に通っていてこころよい調べをなしている。しかしこの歌はどこか悲しみに似たせつない思いをつたえてくる。「処女」といっているけれど、この時の皇女は処女などではなく、まことに気の毒な立場におられた。
十市皇女は、大友皇子(弘文天皇)の妃となられていたが、天皇崩御の壬申の乱後は(略)「処女」というのはあたらないけれど、まだ年も若いのだし、心をひきたてるべく、さびしい境遇に同情して、あえて「処女」と言ったのであろう。(略)皇女は薄命で、それから三年後の天武七年夏、天皇が伊勢に行幸しようとする時、急に病を発して亡くなった。ために行幸は中止されたとある。