朝は涼しい。やがて暑くなる。
わが骸骨が荒野ゆくぎくしゃくとして歩みゆくなり
すれ違ふ白い女がマスクして笑ふが如しわたくし怖ひ
真夜中の三時を過ぎて目覚めたる老いにも怖ろし夢の世界
『中庸』第三章三 忠恕は道を違ること遠からず。諸れを己れに施して願はざれば、亦た人に施すこと勿れ。君子の道は四あり。丘、未だ一をも能くせず。子に求むる所、以て父に事ふること、未だ能くせざるなり。臣に求むる所、以て君に事ふること、未だ能くせざるなり。弟に求むる所、以て兄に事ふること、未だ能くせざるなり。朋友に求むる所、先づこれを施すこと、未だ能くせざるなり。
庸徳をこれ行なひ、庸言をこれ謹み、足らざる所あれば、敢て勉めずんばあらず、余りあれば敢て尽くさず、言は行を顧み、行は言を顧みる。君子胡んぞ慥慥爾たらざらん」と。
庸徳・庸言―「庸」は常の意。高遠でない平凡な日常性と永続的好恒常的であることを兼ねる。そうした徳行と言葉。道の実践のために守るべきことである。
君子ならば庸徳そして庸言を務むるべきや慥慥爾として
前川佐美雄『秀歌十二月』六月 麻績王
うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻苅り食す (万葉集巻一・二四)
壬申の乱がおさまって、天武天皇の治世がはじまった。平和は回復したけれど、余燼はまったく消えたのではなかった。(略)麻績王はいかなる罪に問われたか、それもわからないし、伝も未詳だが、世人は王をあわれに思って次のように歌った。
打ち麻を麻績王海人なれや伊良虞の島の玉藻苅ります (同・二三)
麻績王は海人なのだろうか、海人でもないのに伊良虞の島の海藻を苅っていらっしゃる、というのである。これを聞いた王は悲しんで、この世にいきる命を惜しいと思えばこそ波にぬれて伊良虞の島の海藻を苅って食べているのだよと答えられた。悲傷をいう語は一つもないが、「命を惜しみ波に濡れ」あたりは切実であわれが深い。