7月3日(木)

朝から暑いのだ。

(追憶)高校の剣道部師範、この戦争を自慢する人が嫌いなこともあって、一年で部を辞めた。いいわけかなぁ。

  満州に中国人を処刑して首を斬ったと自慢げに言ふ

  剣道部の指南役として町の自動車屋戦地に白刃自慢げなりき

  最期まで好きにはなれずこの野蛮なる指導者嫌ふ

『中庸』第十一章一 誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、勉めずしてたり、思はずして得、従容として道に中る、聖人なり。これを誠にする者は、善を択びて固くこれを執る者なり。

  誠こそ天の道なり。誠をば実現する者それをこそ守る

前川佐美雄『秀歌十二月』七月 太田水穂

雷の音雲のなかにてとどろきをり殺生石にあゆみ近づく (歌集・鷺鵜)

昭和八年八月、那須温泉に遊び、殺生石を見に行った時の作。(略)今の知識では石のまわりから噴き出る硫化水素、砒化水素などの有毒ガスによるとはわかっていても、なお恐ろしき殺生石だ。だれでもが見たいと思うのは同じ。まして『奥の細道』を思い、心あこがれるものはなおさらである。

殺生石についての説明は何もしていない。那須野についても、その行く道の情景も説明していない。ただ雲の中に鳴りひびいている雷をいっただけである。それをあえて一音多くして「とどろきをり」と三句で切った。そうしてさりげなく「殺生石にあゆみ近づく」と結んだ。簡素である、巧みな省略である。ために余情が出てきた。ひろい那須野の原のその湯本なる殺生石をじつにぶきみに感じさせる。水穂五十八歳の作。第五歌集『鷺鵜』に出ている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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