7月13日(日)

今朝も涼しいが、温度は上がるらしい。

  耳を穿ることのたのしさあやふさによろこぶわれの綿棒あやし

  綿棒を耳の穴へと突っ込みて深く突っ込むあやしあやし

  耳の穴に綿棒深く突っ込みてよろこぶわれかおのづから笑む

『中庸』第十七章 仲尼は、尭・舜を祖述し、文・武を憲章す。上は天時にり、下は水土にる。辟へば天地のせざることなく、せざることなきが如し。辟へば四時のひに行るが如く、日月のる明らかなるが如し。万物並び育して相ひ害はず、道並び行なはれて相ひ悖らず、小徳は川柳し、大徳はす。此れ天地の大たる所以なり。

  孔子は小徳は川柳し大徳は敦化す此れ天地の大たる所以と言ひき

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 川田順

星のゐる夜空ふけたりわが船の大き帆柱の揺れの真上に (歌集・青淵)

熊野旅行歌七十一首中、「紀州灘船中」と題する十二首中の一首である。

あかあかと漁火もやし沖釣のあまの小舟ら闇のなかに浮く

出雲崎大島の辺に火をつらね鰯とる舟は夜もすがらなし

岸を打つ潮騒さやにきこえつつ沖ゆく船の夜はふけにけり

などの佳作がこの歌の前にある。どこか人麿や黒人の舟行歌に似えた感がある。作者も多分それを心に置いて作ったのだろうが、これは全部夜の舟行歌であるのが注意せられる。そこに別種のおもむきが生じた。この旅行は炎暑八月のことであったから、夜の海上とはいえ船室では眠り難かったのだろう。また物めずらしさも手伝って甲板に出て海風に吹かれていた。デッキテェアに仰向きになって、澄みわたる夜天の星を眺めていたのか。すでに天の川の流れも見えたはずだが、ふと気がつくとまっ黒な太い帆柱が揺れながら突っ立っている。その上にひとしお明るく光る星がある。織女星なのだ、と。この歌はそこまではいっていないけれど、そういう情景も思いしのばせるほどに、複雑な内容をよく単純化して大きな調べの中に融合させている。順の全作品の中でも特にすぐれており、身も心も満ち足りているといったふうである。

この歌は昭和五年刊行の第四歌集『青淵』にはいっているが、作ったのは大正十二年四十二歳の時で(略)、順自身も「熊野歌七十一首には力の限りを尽くした」といっており同門の木下利玄は「熊野歌は、君が歌壇復活後の最も勝れた収穫であると、私は思ってゐる。これも君の胸中にゐる詩人が、平素は非常に眩るしい雑事の為に、睡眠を余儀なくせられてゐるのが、熊野の奥の幽邃な大自然に接して、其眠りから覚めた結果であろうと考へる」と絶賛した。(略)大正八年窪田空穂を知るに及んで、作風は一変し、その影響感化を受けて写実主義風になる。熊野歌はそういう時期における一頂点を示すものである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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