7月22日(火)

今日も暑い。

米澤穂信『栞と嘘の季節』。高校の図書館係の話だが、とても高校生とは思えない。本格的な探偵だ。トリカブトの栞をめぐって推理が進む。

  クリスタルガラスがおこす乱反射ひかりの燦爛こそが夏なり

  透明硝子の輝く明るさ右の手に掲げてしばしひかりを灯す

  赤と黒の江戸切子卓に据ゑたりきこのカップ挟み媼と翁

『孟子』梁恵王章句上2-2 詩に云ふ、「をし、を経し之を営す。庶民之をめ、日ならずして之を成す。軽始かにすること勿れ。庶民のごとく来る。王に在れば、伏する、たり。白鳥鶴鶴たり。王に在れば、ちて魚躍る」と。文王民力を以て台をり、沼を為り、而して民之を歓楽す。其の台を謂ひて霊台と曰ひ、其の沼を謂ひて霊沼と曰ひ、その有るを楽しむ。古の人は民と偕に楽しむ。故に能く楽しむなり。

  古の賢者は楽しみを独占せず民らと偕に楽しむべきや

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 柿本麿歌集

ぬばたまの夜さり来ればまきむくの川音高しもあらしかも疾き (同・一一〇一)

「川を詠む」の二首目の歌。「ぬばたまの」は夜、夕、黒、昨夜、今夜、夢、妹、月などの枕詞だが、ここでは夜、その黒い夜に掛かる。「夜さり来れば」は「夜になって来ると」である。わかりやすい歌で解釈を要せぬが、これも前と同じおもむきの自然観照の歌だが、四句から五句への調べが高く、また急速で、はげしくあらしの吹き出した暗夜のさまをさながらに思いしのばせる。これも人麿の歌だろうといわれているが、私の考えは前の歌と変わらない。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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