またまた暑いのだ。
文庫になっている『今スグ知りたい日本国憲法』を読んだ。古い文庫本だが、ひょっとしたら日本国憲法を全文読み通すのははじめてかもしれない。国民に総意があることはわかるが、そんなもん選挙で問えるわけなかろう。
ハワイコナの癖ある味のどことなくやさしさもある夏の昼どき
珈琲の香りただよふキッチンに引き寄せられて老いも従ふ
珈琲の豆挽くときの香りよさ妻が豆挽く、わたくしが嗅ぐ
『孟子』梁恵王章句上3 梁の恵王曰く、「寡人の国に於けるや、心を尽くすのみ。凶なれば、則ち其の民をに移し、其のを河内に移す。河東凶なるも亦然り。隣国の政を察するに、寡人の心を用ふるが如き者無し。隣国の民少なきを加へず、寡人の民多きを加へざるは、何ぞや」と。
梁の恵王く「わたくしは民政に力を注いでゐる。而るに隣国はいかならむや
前川佐美雄『秀歌十二月』九月 長塚節
白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり (同)
大正三年、節三十六歳、死ぬ一年前の歌である。五月からアララギに連載しはじめた「鍼の如く」其一の冒頭に見える。茂吉によると節は「僕の歌に対する考はこんなものだ」といってこの歌を示したそうであるが、節のいわゆる「冴え」「品位」のよく感じられる歌で、自信があったのだろう。この歌には「秋海棠の画に」と詞書がついている。それは病中世話になったお礼のため、平福百穂の描いた袱紗の画の賛をして久保猪之吉夫妻に贈った一首である。画賛の歌などは美辞麗句に終わりがちだが、これは実感のこもる真率な作で、シュウカイドウを活けるには白磁の瓶がよく似合うと考えている。それはやはり高い趣味性から来ているが、その瓶に霧といっしょに朝の冷たい水を汲んだといっている。井戸水とはいっていないが、これは流れの水ではなく、深い掘りぬき井戸の水である。「霧ながら」「水くみにけり」の調べにそれが感じられる。(略)私は左千夫よりは節の純粋な澄徹の高品を愛する。(略)節は孤高の人だった。