朝から雨、時折止むものの雨、雨。
この空の明るきひかりを自衛隊の輸送機らしきが訓練すらし
爆音のときに聞こえてマンションの空高き上輸送機飛びゆく
おそらくは米軍機も駐留し厚木基地有事に備へたりけり
『孟子』梁惠王章句上7-6 曰く、「為さざる者と、能はざる者との形は、何を以て異なるか」と。曰く、太山をみて以て北海を超えんとす。人にげて曰く、『我能はず』と。是れ誠に能はざるなり。長者の為に枝を折らんとす。人に語げて曰く、『我能はず』と。是れ為さざるなり、能はざるに非ざるなり。故に王の王たらざるは、太山を挟みて以て北海を超ゆるの類に非ざるなり。王の王たらざるは、是れ枝を折るの類なり。
王の王たるは北海を超ゆるにあらざるなりただ枝を折る類のみ
前川佐美雄『秀歌十二月』十月 斉明天皇
山の端にあぢ群騒ぎ行くなれど吾はさぶしゑ君にしあらねば (万葉集巻四・四八六)
巻四の巻頭「相聞」の第二首目の長歌の反歌である。題詞は岡本天皇の作とあるが、左注では岡本天皇か後岡本天皇かを判じかねている。万葉集編纂当時すでにわからなくなっていたのであろうが、これはどうしても女性の作だ。後岡本天皇すなわち斉明(皇極)天皇の歌だとする考え方がよいように思う。「あぢ群」はカモの一種味鴨の群れのこと。「さぶしゑ」の「ゑ」は感動をあらわす助辞。一首の意は、「山の端を味鴨の群れが鳴き騒ぎながら飛んで行くように、大勢の人がどやどやと通り過ぎるけれど、私はさびしくてなりません。たれひとり私の思っている人ではありませんから」というので、「あぢ群騒ぎ」までが序詞だが、それは「行く」に掛かる比喩になっていて「人」が省略せられている。それを受ける下の句は「吾はさぶしゑ」「君にしあらねば」と「ゑ」や「し」の助辞を用いて重々しくも力強く四、五句を逆にして調子を高めている。しかも繊巧ではない素朴さは記紀の歌謡に通じるものだ(略)これはかえって挽歌に近い。(略)これは舒明天皇崩御を悲しむ皇后の挽歌でないのか。私はそのように受け取って尊重している一首である。皇后は位に即れて皇極天皇、重祚せられて斉明天皇。舒明天皇共に万葉初期のすぐれた歌人ある。