朝は少し涼しいものの、やがて暑くなる。
忘れた頃に『茜唄』の歌を
平家の興亡の亡を語るとき琵琶法師長く敗者を語る
を主人公にして『茜唄』上下ついやす清盛の子を
清盛がもっとも愛せし知盛の最期のことば「見るべきは見つ」
清盛の新しき像細心にて貴族を信ぜず上皇をうたがふ
問題は後白河法皇をにありにけり義仲も義経も平家も滅ぶ
『孟子』梁惠王章句上7-11 王曰、「吾くして是に進むこと能はず。願はくは夫子
吾が志を輔け、明らかに以て我に教へよ。我不敏なりと雖も、請ふ之をせん」と。曰はく、「恒産無くして恒心有る者は、惟士のみ能くすることを為す。民のきは則ち恒産無ければ、因つて恒心無し。苟も恒心無ければ、、為さざる無きのみ。罪に陥るに及んで、然る後従つて之を刑す。是れ民をするなり。焉んぞ仁人位に有つて、民を罔して為す可けんや。
仁者なれば君子の地位にありながら民を罔して為す可けんや
前川佐美雄『秀歌十二月』十一月 磐姫皇后
秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いづへの方にわが恋ひ止まむ (万葉集巻二・八八)
捲二の巻頭に磐姫皇后が仁徳天皇を思われて作った歌四首がある。時代の分かっている歌としては万葉集中最古のものだが、歌風や四首の構成ぶりから考えて、皇后の作ではなく、伝誦歌が皇后に仮託されたものと見られている。この歌は四番目の歌だが、記紀に見る天皇と皇后の相聞歌の古拙ぶりにくらべると、これはずっと時代の若いことはたれにもわかる。それでも「霧らふ朝霞」といっている。これは霧のことだが、古代では春秋ともんに霞の語をつかうことが多かった。一首の意は「秋の田の稲穂の上に立ちこめている朝霧の、日があがるとともに消え去るように、どちらの方に私の恋ごころは消えてゆくのであろうか。切ない思いはなかなか晴れそうもない」と歎いているのである。この「朝霞」と三句で切った上の句がじつによい。ここまでが序歌だが、具体的にいい述べていてしかも優美、情景が彷彿とする。下の句の「いづへの方に」そうして「わが恋ひ止まむ」はまことに巧みないいまわしの、また切実な語で、自然の事象によく心が融けあっていて、ほとんど人為を思わせない。
磐姫皇后は古代女性中、もっとも嫉妬心の激しい人として伝えられている。(略)丘陵と丘陵の間はすべて稲田である。伝誦の問題はともかくとして、この歌をこの 筒木の宮で作られたと考えてもいっこうに差し支えまい、その方が親しみやすく味わいふかく思われる。