8月20日(水)

暑いのだ、暑いのだ。

ハン・ガン『涙の箱』、美しく、悲しくなり、心ゆたかに、しあわせになるような童話である。

  積みあがる本の山よりてくるまだ読むことなかりし小説

  女性の書く『京都異界紀行』新品のまま読まぬが出てくる

  古びたる『神屋宗湛の残した日記』、全く読まずに山より出づる

『孟子』梁恵王章句下8-2 他日、王に見えて曰く、「王嘗て荘子に告ぐるに楽を好むを以てすと。有りや」と。王色を変じて曰く、「寡人能く先王の楽を好むに非ざるなり。直世俗の楽を好むのむ」と。曰く、「王の楽を好むこと甚しければ、則ち斉は其れからんか。今の楽は猶ほ古の楽のごときなり」と。曰く、「聞くこと得可きか」と。曰く、「独り楽を楽しむと、人と与に楽を楽しむと、孰れか楽しき」と。曰く、「人と与にするに若かず」と。曰く、「少と与に楽を楽しむと、衆と与に楽を楽しむと、孰れか楽しき」と。曰く、「衆と与にするに若かず」と。

  王世俗の楽を好み衆とともにするを楽しめば斉の国こそ有望なり

前川佐美雄『秀歌十二月』十一月 大津皇子

百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (万葉集巻三・四一六)

「大津皇子、被死からしめらゆる時、磐余の池の陂にして涕を流して作りましし御歌一首」の詞書がある。前にも記したように、大津皇子は謀反の企てありとして捕らえられ、朱鳥元年十月三日訳語田舎で詩を賜った。その時の歌である。「百伝ふ」は枕詞で、百へ至るという意で、五十または八十にかかる。ここでは五十の磐余にかけた。(略)一首の意は「磐余の池に鳴いている鴨を見るのも今日限りで、天がけり雲に隠れて私は死んでゆくのか」というのである。同じ時に作った五言「臨終」の一絶が懐風藻に伝えられている。

金烏西舎に臨らひ 鼓声短命をう催す 泉路賓主無し 此の夕べ家を離りて向ふ

「西に傾いた日が家を照らし、夕刻を知らす鼓の音は短い自分の命をいっそうせき立てるようだ。あの世の路は客も主人もないだろう。この暮れ方自分はひとり家を離れて死出の旅路に向かうのである」というほどの意だが、歌と詩いずれがすぐれているか。皇子ははやくから文筆を愛し「詩賦の興は大津より始まる」といわれたくらいだから、詩もゆるがせにはでいない。ともにあわれをもよおさしめる(略)ともあれ毎年冬になるとその池に来るカモを見て、それに全生命を託したかのごとき下四、五句の語気語勢、その詠歌の調に歎息する。しかもうらみがましい思いはみじんも述べられていない。(略)地位高く心丈き人のつねのならいか。さらばいっそうに心に沁むが、契沖は「歌と云ひ詩と云ひ声を呑て涙を掩ふに遑なし」といっている。

この時、妃の山辺皇女が殉死している。(略)日本歴史中でもっともあわれ深い場んで、その光景が見えるようだ。これを思いこの歌を読む、何びとも涙せざるをえないのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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