今日も無茶苦茶暑い。
その三
一日目の夜にビナウォークを訪れてカルディにふおやつ三点
この世ならぬホテルの部屋にこもりをり。煙草の臭ひ気にはしつつ
禁煙室は満室なりき。わが入る喫煙室はわづかに空きあり
『孟子』梁恵王章句下10-2 王曰く、「大なるかな言や。寡人疾有り、寡人勇を好む」と。対へて曰く、「王請ふ小勇を好むこと無かれ。夫れ剣をし疾視して曰く、『彼んぞ敢て我に当らんや』と。此れを匹夫の勇、一人に敵する者なり。王請ふ之を大にせよ。詩に云ふ、『王赫として斯に怒り、爰に其の旅を整へ、以てにくをめ、以て周のを篤くし、以て天下に対ふ』と。此れ文王の勇なり。文王一たび怒りて、而して天下の民を安んぜり。
文王に勇ありてひとたび怒れば民平らかなり
前川佐美雄『秀歌十二月』十一月 沙弥満誓
しらぬひの筑紫の綿は身につけていまだは著ねど暖けく見ゆ (万葉集巻三・三三六)
「しらぬひ」は筑紫の枕詞、筑紫は九州全体の総名であった。「綿」は真綿で絹綿のことである。(略)一首の意は「筑紫の絹綿はかねがねから聞いてはいたが、身につけて着ないうちから、なるほど見ただけでも暖かそうだ」というので、大宰府に収納せられた絹綿を賛美したものと思われる。その心が上の句に感じられるが、下の句「いまだは著ねど暖けく見ゆ」は平凡なようでありながら、心も調子も素直にとおっているので、単純な一首をよく救って、情趣こまやかなものさえ感じさせるのである。
(略)
作者沙弥満誓は、僧でであるが、在俗の時は笠朝臣麿といい、美濃守に任ぜられて木曽路開通に功があり良吏の聞こえ高かった。元明天皇不予のおり、天皇のために僧となって満誓と名のり、のちに筑紫観世音寺造営の長官に任ぜられて九州へ遣わされた。これはその任官中の歌だが、そこでは大宰府の長官大伴旅人と親しくしており、旅人が帰京した時に次の二首を作って贈っている。
まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつ居らむ (同巻四・五七二)
ぬばたまの黒髪変り白けても痛き恋には会ふ時ありけり (同・五七三)
ともになかなかの佳品だが、これに対して旅人の和えたのか次の二首である。
此処にして筑紫や何処白雲のたなびく山の方にしあるらし (同・五七四)
草香江の入江に求食る葦鶴のあなたづたづし友無しにして (同・五七五)
やはりすぐれた歌だが、あとの歌の「友無しにして」など、その友情を思いしのばせる。