朝方少し涼しかったが、30度を越し暑くなる。
肪脹相
滅びゆくわが肉體の膨満す。わが死の後のみにくきすがた
身の憂さも忘じはてたる軀なりけり。淫楽に遠し臭骸を抱く
朝があす遠くに鳴きて膨張するからだ求むるかと
『孟子』梁恵王章句下11-2 、斉の景公、に問うて曰く、『吾、を観し、海につて南し、にらんと欲す。吾何を修めて以て先王の観に比すべきや』と。晏子対へて曰く、『善いかな問や。天子諸侯にくを巡狩と曰ふ。巡狩とは、守る所を巡るなり。諸侯天子に朝するをと曰ふ。述職とは、職とする所を述ぶるなり。事に非ざる者無し。春は耕すを省みて足らざるを補ひ、秋はむるを省みて給らざるを助く。夏の諺に曰く、〈吾が王遊せずんば、吾何を以て休せん。吾が王予せずんば、吾何を以て助からん〉と。一遊一予、諸侯の度と為る。
昔の聖王は一遊一楽といへども諸侯の手本となるべし
前川佐美雄『秀歌十二月』十二月 佐佐木信綱
西上人長明大人の山ごもりいかなりけむ年のゆふべに思ふ (同)
同じ遺詠の二首目である。「西上人」は西行法師のこと、あがめて上人といった。「長明大人」は鴨長明のこと、あがめて大人といった。西行は法師であるから上人でよいが、長明は純粋な意味で僧とはいえないから大人といった。むろん同じ語を避けるためでもある。「年のゆふべ」は年の暮れ方である。一首の意は「昔の西行法師や鴨長明の山居生活はどんなふうであったのだろうか、年の暮れ方に思われる」というのである。前の歌とはちがうけれど、心のつながりが感じられる。自分も年老いて一人で山荘生活をしているものの、現代文明の恩恵をこうむって何不自由ない生活をしている。けれど西上人や長明大人の時代はちがう。それがどのように住にくかったか
と思いやっているのである。(略)ともに不便な山地に隠遁した人たちであるが、その心と生活を堪えがたいものであっただろうと同情しているのである。むろん西行や長明を慕えばこそであるが、信綱は明治九年数え年五歳の時に、父弘綱から万葉集や西行の歌集「山家集」の暗誦を授けられている。そうして六歳の時に「障子からのぞいて見ればちらちらと雪のふる日に鶯が鳴く」と詠んで、父に賞められている。五、六歳ごろからの西行である。信綱が西行に格別心ひかれて、多くの書をなしたのもいわれなきことではない。七十いくつ、六十いくつでなくなった西行や長明を、九十歳を越えた信綱が、なお五、六歳ごろの心で思いしのんでいる。「年のゆふべに思ふ」が感深い。もう一首は次のように心を安く述べている。
空みどり真ひる日匂ふ日金の山山草原はあたたかならむ