2025年9月1日(月)

九月であるが、今日もまた猛烈な暑さだ。

方乱相

  肉體が滅びはてたるその姿みにくきばかり路傍に目る

  滅びけるがかくのごとき色になる皮膚裂けてみゆ。湮滅の相

  死の色をうにまとひて悪臭を散らしてこれぞわがなり

『孟子』梁惠王章句下12 斉の宣王問うて曰く、「人皆我に明堂を毀てと謂ふ。諸を毀たんか、已めんか」と。孟子対へて曰く、「夫れ明堂なる者は、王者の堂なり。王、王政を行なはんと欲せば、則ち之を毀つこと勿れ」と。

  宣王が王の政治をなさんには明堂を毀つことぞ勿れと

前川佐美雄『秀歌十二月』十二月  橘曙覧
旅衣うべこそさゆれ乗る駒の鞍の高嶺にみ雪つもれり (志濃夫廼舎歌集)

師匠である田中大秀を、飛騨の国にたずねて行った時の歌である。(略)この歌のすぐ前に「飛騨国にて白雲居の会に、初雁」と題して

妹に寝るとこよ離れてこの朝け鳴きて来つらむ初かりの声

という秀歌があり、これには「同じ国なる千草園にて、甲斐国のりくら山に雪のふりけるを見て」との詞書があるが、甲斐の国は誤りで、むろん飛騨から東に望まれる信濃ざかいの乗鞍岳である。一首の意は、「旅装束をとおして寒さがきつく身にこたえると思ったら、そのはずだ。乗る駒の鞍という名の乗鞍の高山に雪が積もっている」というのである。二句「うべこそ」だから「さゆれ」で、ほんとうにさえる、まことにさえるの意を強めたので、寒さの身にひどくこたえることである。なお三句「乗る駒の」は四句「鞍の高嶺」の枕詞のようなつかい方を、しているけれど、これは森鞍岳の高嶺を説明しただけで、したがって馬に乗って旅をしていると考えてはいけないのである。

曙覧の歌はだいたいからしてらくらくと歌われているのが多く、(略)どちらかといえば万葉ふうだが、それもかすかなものである。(略)それらとはまったく異なる自由な姿が見られたるとともに、そこにかなり高いと思われる詩情があることに気づく。これがこの時代の、そうした曙覧の歌のいちばん大切なところだが、独楽吟となるとやや低いように思われる。(略)その心は明るく、こだわりがないから、わりあいに人受けがして愛誦される(略)

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA