9月4日(木)

暑さは少し弱まったが、湿度が高い。

ようやっと小川哲『地図と拳』上下を、読み終える。満州の一つの村の、およそ百年の興亡が、地図と戦争による「拳」を主題に展開される。かなり早く死んでしまう高木、その後その妻慶子と縁をもつ須野の子どもたち、そして全編を貫いて存在感をふりまく細川。八路軍側にもふれなければならないが、やめておこう。十分以上に楽しかった。

白骨連相

  ばらばらになりたる骨の白さあり。霜にも似たり。さむきぞ、その

  幽魂の震へも感ずることなきか黒き夜つづく鳥辺野山中

  突然に骸骨たちの踊りあり。わが骸骨もいつか加はる

『孟子』梁恵王章句下12-4 王曰く、「寡人疾有り、寡人色を好む」と。対へて曰く、
「昔者、大王色を好み、の妃を愛せり。詩に云ふ、『、来つて朝に馬を走らす。西水のにひ、岐下に至る。爰にと、に来つてる』と。是の時に当りて、内に怨女無く、外に無かりき。王如し色を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於て何か有らん」と。

  王、色を好まば人民にもその楽しみを与ふべきなり

前川佐美雄『秀歌十二月』十二月 大伴坂上郎女

留め得ぬ命にしあれば敷栲の家ゆは出でて (同巻三・四六一)

長歌の反歌である。左注によると、日本に帰化して早くから大友家の客となっていた新羅の国の。尼理願が天平七年に病死した。この時すでに旅人は没しており、家持はまだ若かった。そうして坂上郎女の母石川命婦は有馬の温泉に療養に行っていて不在。そこで葬送のことはるすをあずかっていた郎女の手で行なわれた。これはそのことを歌って有馬にいる母のところへ報告したのである。長歌を見ると、大友家では佐保の邸宅に別棟を新築して理願を寄寓させていたことが歌われている。

(略)「敷栲の」は枕詞、「家ゆ」は家から、「は」は「命にし」の「し」とともに強めの助詞。「ひきとどめることのできない人の寿命であるから、住みなれた家から出て雲隠れておしまいになった」というのである。ごく普通のことをいっているにすぎないが、結句の「雲隠りにき」に哀感がある。つづけてなおも言いたい悲しみをこらえている。かえって心にひびくのである。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA