今朝、少し涼しい。しかしすぐに暑くなる。
尾長鳥の三羽がつぎつぎに飛びこんでかすかに揺れありすぐに消えたり
まづ一羽があけぼの杉の葉叢より飛びだすつづけて二羽も飛びだす
あけぼの杉の繁る葉々より脱けだすはおそらく家族なりつぎつぎに出る
『孟子』梁恵王章句下16 孟子 斉の宣王に謂ひて曰く、「巨室をらば、則ち必ず工師をして大木を求めしめん。工師大木を得ば、則ち王喜びて、以て能く其の任にふと為さん。匠人りて之を小にせば、則ち王怒りて、以て其の任に勝へずと為さん。
夫れ人幼にして之を学び、壮にして之を行はんと欲す。王曰く、『くの学ぶ所をいて、而して我に従へ』と。則ち如何。
王とすれば「くの学ぶ所をいて、而して我に従へ」といへばどうにもならん
前川佐美雄『秀歌十二月』十二月 山部赤人
田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける (万葉集巻三・318)
不尽山を望んで詠んだ長歌の反歌である。「田児の浦」は静岡県。(略)だからこの歌は現在の静岡を経て清水を過ぎ、興津のあたり田児の浦まできて富士山を仰ぎ見たと考えてよい。
「田児の浦ゆ」の「ゆ」は、(略)ここは当然「に」の意味に解すべきである。ただここを「に」としたのでは「真白にぞ」「高嶺に」の「に」の音が重なってしらべも悪く、またことわりすぎることにもなるので「に」を避けて「ゆ」にしたのであろう。「うち出でて」の「うち」は接頭語で意味はないが、『出でて』を強調する若干の役は果たしていると見られる。
微妙な心づかいは作者内がわのこと。作られた歌は秀麗富士さながらにすがすがしくも神々しい。堂々としていてりっぱなのだ。古来富士山を詠んだ歌は数多いが、未だこの一首に及ぶものがない。その一部分、その特殊な場合などを詠んだのと違って、これは真正面から詠んでいる。誰もが見、誰もが感じると同じ富士山なのである。
富士山は完璧に表現せられ、人は富士山とはこの歌のようであると信じている。叙景歌の絶唱であり、赤人の作中でも傑作であるが、(略)しかし、新古今集、百人一首によって歌がなり下がった。(略)純粋な原作者の感動を観念的に情趣化したりして新古今集歌風の悪い反面を暴露した。これあそのまま百人一首に入れられて坤為地に至っているわけだ。それにわずらいされたのは赤人だけではなく、われわれもである。これらの迷妄を一掃し純粋無垢な心に立ちかえり、もう一度この歌を見なおしたい。