9月13日(土)

昨夜、雨だったのか地面が濡れている。そして、また雨。

  廃墟のごとき外観なれど人多し。熱きを好みたりしか

  尖石の庭に大きな栗の木あり。小さなの実、日におして

  栗の木に射すひかりあり。曇り日をわづかにとどく照らす

『孟子』梁恵王章句下18 斉人 燕を伐ちて之を取る。諸侯将に謀りて燕を救はんとす。宣王曰く、「諸侯寡人を伐たんと謀る者多し。何を以て之を待たん」と。孟子対へて曰く、「臣七十里にして政を天下に為す者を聞く。湯是なり。未だ千里を以て人を畏るる者を聞かざるなり。書に曰く、『湯めて征する、り始む』と。天下之を信ず。東面して征するなり。書に曰く、『湯一めて征する、葛自り始む』と。天下之を信ず。東面して征すれば西夷怨み、南面して征すれば北狄怨む。曰く、『奚為れぞ我を後にする』と。民の之を望むこと、大旱のを望むが若し。市に帰く者止まらず。耕す者変ぜず。其の君が誅し、而して其の民を弔ふ。時雨の降るが若し。民大いに悦ぶ。書に曰く、『我が后をつ。后来らば其れ蘇らん』と。

  我が君、湯王を待ちかねて君こそ来れば其れ甦る

林和清『塚本邦雄の百首』

眠る間も歌は忘れずこの道を行きそめしより夜も晝もなし (第一歌集以前)

塚本邦雄がいきなり『水葬物語』に至ったわけではなく、当然その前の長い初心時代があった。大正九年(1920)滋賀県神崎郡五個荘村宇川並に生れまれ、就職までそこに育った。兄の春雄は北原白秋主宰「多摩」の会員であり、家内に短歌のある感興であった。

最初はその影響で作歌をはじめ、書架にあった『万葉集』『古今集』『新古今集』をはじめとして、『みだれ髪』や『赤光』などを耽読した。

塚本はとにかく多作で、膨大な歌を詠みつづけた。まさに夜も昼も、起きている間も、夢の中でも。

粥煮ます母に寄り添ひ見る雨は木々の新芽に沁みゆきにけり (第一歌集以前)

塚本の父は欽三郎、近江商人として盆暮以外は本社のある大阪か東京で勤務していた。酒が元で健康を害し、塚本が生誕した年に三五歳で早世している。母の壽賀は、早くに寡婦となりつつ四人の子をそだてた。

こんな優しい、息子から母への愛の歌もめずらしい。雨のように心にしみてくる。母も短歌を愛好する人であり、二人で歌の本を開いて語り合う、という歌もある。

しかし戦争の黒い影は迫っており、徴用で呉へと発った息子の身を最後まで案じながら、空襲激化する昭和一九年(1944)に、母は五四歳で他界した。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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