9月15日(月)

朝の内は涼しいが、上がるようだ。

  鶺鴒があけぼの杉に没入すすぽっすぽっと三羽が消ゆる

  あけぼの杉の葉叢にこもり音もせず鶺鴒いづくにゆきしものかな

  真緑の夏のメタセコイアにかくれたり鶺鴒、鳩がしきりに鳴けば

『孟子』梁恵王章句下19 鄒と魯と閧ふ。穆公問うて曰く、「吾が有司死する者三十三人。而るに民之に死する莫きなり。之を誅せんとせば、則ち勝げて誅す可からず。誅せざれば、則ち其の林和清『塚本邦雄の百首』

花をへだてていとほしき胸のふくらみよぎりぎりまで清く君を保たむ (第一歌集以前)

塚本は戦中から「調音」系の結社誌「青樫」に所属しており、誌上での竹島慶子の名と歌を知っていた。昭和二二年(一九四七)歌会にて初めて顔を合わせた。

蘇芳色の着物に身を包んだ清楚な姿に魅かれたという。慶子夫人の父も酒で命をちぢめていて、結婚するなら酒を飲まない人がいい、と思っていたらしい。その点塚本ならぴったり。共に両親を亡くし、孤独の中、歌を救いとして細々生きている。その孤独の魂が魅かれ合ったのだろう。昭和二三年五月一〇日、婚礼。

塚本の思いも歌からよく伝わる。まさに純情至極。

おほよそは飢ゑにかかはるものいひのさむざむと霜に咲く花八つ手 (第一歌集以前)

塚本には食に関する著作も多く、美食家、健啖家として知られていた。食べることに対する意欲が旺盛な分、戦中戦後の飢饉は人一倍辛かったろう。

第一歌集以前の作を収めた歌集『透明文法』(一九七五)の作品は、戦後を生きる青年の虚無感がストレートに表出されている。「やぶれはててなほひたすらに生くる身のかなしみを刺す夕草雲雀」など、歌集の前半は抒情的な悲しみに満ちている。しかし後半にいたると、頭韻を試みたり外来語を多用したりと、変化が見られる。

何があったのか。そう杉原一司と出会ったのだ。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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