9月16日(火)

今日も暑くなりそうです。

工藤美代子『小泉八雲 漂泊の作家 ラフカディオ・ハーンの生涯』を読む。漂泊のハーンは、ギリシャのサンタ・モウラ島に生れ、日本で息を引き取った。各地をさまよい日本に辿り着き、セツと結婚し、『怪談』のような日本紹介を書いた。「ここでは、すべてが眠りのなかに見るもののように、柔和で優しいのです。

  蹴上げたるふくらはぎの痛さは筋肉痛。歩き過ぎたる昨日の歩み

  けやき木の間に見えける太陽光ときをり枝葉に隠れて見えず

  わが行手に枝葉大きく広げたる欅のむかう鋭きひかり

『孟子』梁恵王章句下19-2 孟子対へて曰く、「凶年には、君の民、はに転じ、壮者は散じて四方に之く者、幾千人ぞ。而るに君のは実ち、は充つ。

有司以て告ぐる莫し。是れ上慢にして下をふなり。曾子曰く、『之れ戒めよ、之を戒めよ。に出づる者は爾に反る者なり』と。夫れ民今にして後、之を反すことを得たるなり。君むること無かれ。君仁政を行なはば、斯に民其の上に親しみ、其の長に死なん」と。

  曾子いふ「戒めよ、之を戒めよ。爾より出でたるものは爾に反る

林和清『塚本邦雄の百首』

海も葡萄も眞靑に濡れて秋が來る老人のゆあに坐つてゐるな (第一歌集以前)

塚本が鳥取県八頭郡丹比村の杉原宅を訪ねたのは、昭和二四(一九四九)七月。それまでに膨大な量の往復書簡がある。誌上での論作を読み、文書で批評を交わしあい、塚本が開眼してゆく様子は、前衛短歌がどのように萌芽したのかを物語る貴重な記録である。

塚本は感じた。戦後何もかもモノクロームに色褪せた光景が、杉原の語る言葉により海も葡萄も青く色を取り戻して輝き始めるのを。そして滴り落ちるしずくが虚無に覆われていた自らの渇きを癒してくれるのを。

塚本は生き直そうとした。すべてはここからだと。

五月祭の汗の生年 病むわれは火のごとき孤獨もちてへだたる (『装飾樂句』)

やっとめぐりあった同志・杉原一司は二三歳の若さで他界する。塚本は翌年に追悼

の意をこめて『水葬物語』を上梓し、その才能に刮目してくれた中井英夫や三島由紀夫によって発表の場を得ることになった。

総合誌などに発表された作品を集めて編まれたのがこの『装飾樂句(カデンツア)。

巻頭作にある「病むわれ」は、実際にこの時期、肺結核で求職していたことに由来する。

当時盛んだった労働運動の青年たちと孤独をもってへだたる主人公。それが燃える火であるのは、羨望と嫉妬、そして詩歌への情熱の熾火なのであろう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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