涼しいんだけど。
満面に笑みをたたへる妻の顔エレヴェータに降りゆくなり
エレヴェーターに上り来る窓に妻の顔みえて私の顔もほころぶ
エレヴェーターの窓より見ゆる駐車場わづかなれども幾台かみゆ
『孟子』公孫丑章句24-5 且つ王者の作らざる、未だ此の時より琉き者有らざるなり。民の虐政に憔悴せる、未だ此の時より甚しき者有らざるなり。飢うる者は食を為し易く、渴する者は飲を為し易し。孔子曰く、『徳の流行は、置郵して命を伝ふるより速やかなり』と。今の時に当り、万乗の国、仁政を行はば、民の之を悦ぶこと、猶ほ倒懸を解くがごとけん。故に事は古の人に半ばにして、功は必ず之を倍せん。惟此の時を然りと為す」と。
ただ今日今こそ為すべきぞ仁政を行なひ人民悦ぶ
林和清『塚本邦雄の百首』
馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ 『感幻樂』
塚本邦雄生涯の代表作である。この歌の前に三行詩「水に降る雪/火のうへに散る百日紅/わがために死ぬは眉濃き乳兄弟」が置かれている。「おおはるかなる」が狂言小唄からそのまま初句を用いながら、景は近代的であったのに対して、この歌には直接の典拠がないにもかかわらず、世界は極めて中世的である。
夏の季語「馬洗う」の通り、鮮烈な水を迸らせ丹念に馬を洗う男。そこには『葉隠』を思わせる武士道精神がよぎる。かつて三島由紀夫が「馬の薄い皮膚の精緻なスケッチ」と評したように、馬の存在感が際立つ。
ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一臺 『感幻樂』
「馬を洗はば」とともにこの歌集きっての名歌と言われる歌。私は遠い昔、はじめてこの歌を読んだ時、象徴技法というものを体感として会得した気がした。
霜月の火事、燃えるピアノ、それは微笑のようであり、目前から遠く遥かであるという。どこにも写実的なものはない。それなのに、塚本が死にたいほど希求する絶対美の確かな感触に満ちているのはなぜか。この一連はレオナルド・ダ・ヴィンチを主題とする。火中のピアノにモナリザの微笑が浮かびあがる。破調ではなく正調で、塚本は滅びの美を確実に仕留めたのだ。