今日も、今は涼しいが、暑くなるらしい。
台風の去りし後には天上はやうやう晴れて地上は濡るる
各地に線状降水帯あらはれて水害、災害、土砂崩れ
激しき雨の時間を耐えてゐる窓を壊すが如き雨なり
『孟子』公孫丑章句25-2 曰く、「心を動かさざるに、道有りや」と。曰く、「有り。の勇を養ふや、せず、せず。を以て人にめらるるを思ふこと、之をにたるるが若し。にも受けず、万乗の君を刺すを視ること、を刺すが若し。る諸侯無し。悪声至れば、必ず之を反す。孟施舎の勇を養ふ所や、曰く、『勝たざるを視ること猶ほ勝つがごとし。敵を量りて而る後進み、勝つをつて而る後会するは、是れ三軍を畏るる者なり。豈能く必勝を為さんや。能くるる無きのみ』と。
勝てぬとも必勝の信念にたちむかふけっして恐れてはならず
林和清『塚本邦雄の百首』
掌ににじむ二月の椿 ためらはず告げむ他者の死こそわれの楯 『星餐圖』(一九七一)
この歌集制作中にあたる一九七〇年の夏に、好敵手・岡井隆が出奔した。そし一一
月二五日、いち早く塚本の才を見出した恩人・三島由紀夫が自決した。『星餐圖』はその二人に献じられた歌集となる。
残された者にはどこにも帰る場所はなく、二人の不在を楯としてお歌い尽くすのみ、と決意を詠じている。
奇しくもこの年、塚本はあらたな盟友と出会う。詩人で装幀家の政田岑生である。これ以降、政田が彼の死まで塚本の著書を美しく装飾することになる。この歌集は政田の裁量により一首一頁として刊行された。
掌の釘の孔もてみづからをイエスは支ふ 雁來紅 『星餐圖』
神の子キリストとしてではなく、一人の夭折の青年としてイエスを愛する塚本。生涯おびただしい数のイエスの歌を詠んだが、その中でも代表作がこの歌。
十字架上のイエスが手のひらの釘穴によって自らの存在を支えているという。釘により磔にされているのではなく、穴という虚無が彼を支えているのだ。
イエスは叫ぶ。「わが神わが神なんぞわれを捨て給ふや。」と。ゴルゴタの丘を暗黒が覆う。ただ眼前には、襤褸布のような赤い葉が秋風に弄られている。その瞬間、塚本はイエスの内面を歌に捉えたのだ。