秋を感じさせる涼しさ。
二・二六事件の謎にかかはりし通信傍受いや盗聴のこと
知らされず青年将校ら銃殺され盗聴のこと闇に埋まる
死にするは青年将校のみにして陸軍参謀ろくなことせず
『孟子』公孫丑章句25-3 孟施舎は曾子に似たり。は子夏に似たり。の二子の勇は、未だ其の孰れか賢れるを知らず。然り而うして孟施舎は守り約なり。昔者、曾子 に謂ひて曰く、『子 勇を好むか。吾嘗て大勇を夫子に聞けり。自ら反してからずんば、と雖も、吾れざらんや。自ら反してくんば、千万人と雖も吾往かん』と。孟施舎の気を守るは、又曾子の守りの約になるに如かざるなり」と。
みずから反省して正しきならば千万人といへども吾れゆかむ
林和清『塚本邦雄の百首』
雪いまだ觸れざるはがねいろの地 紅旗征戎をきみは事とす 『蒼鬱境』(一九七三)
二人の知己への供華として書かれた三〇首の短歌をもって、第八歌集『蒼鬱境』とした。歌の数も跋文無しも異例中の異例だが、「序数歌集」として扱うことこそ、事態の深刻さと衝撃の大きさ、そして以後の塚本の生の在り方への決意を示しているのであろう。
この歌には藤原定家の言葉が引かれている。武をもって世に渡り合うことを否定した定家と、あくまでも文に執しつづける覚悟をした塚本は同じ地平に立つ。
そして紅旗征戎を事とする君が行くのは、未踏の荒野。その地には雪さえ触れることはできないのだ。
すでにして詩歌黄昏くれなゐのかりがねぞわがこころをわたる 『靑き菊の主題』(一九七三)
政田岑生と出会った塚本は精力的に散文の仕事に注力し始める。小説集『紺靑のわかれ』(一九七二)や評論集『定型幻視論』(一九七二)などの名著が生れる。岡井隆や三島由紀夫の文も、と言えば軽々しいが、政田の献身的な助力により、大家への道が開かれたのは確かなことだ。
第七歌集のころより、天命としての詩歌そのものを主題とした歌が増えてゆく。前衛の時代を駆け抜け、いま詩歌は陽の傾く時刻。その時、落日に染まる雁の姿は、古典和歌の言語世界のよみがえりを示す。やせ細る現代短歌にくらべその世界はなんと豊穣なのか。