今日は雨。
朝ガラス鳴けば諸鳥の声聴かずカラスの天下か周囲を飛べり
カラスの声が聞こえぬところにスズメゐて愛らしきもの鳴き交すなり
イカルかもカワラヒワかも私には見分けがつかぬ野の鳥が飛ぶ
『孟子』公孫丑章句27 孟子曰く、「仁なれば則ち栄え、不仁なれば則ち辱めらる。今、辱めらるるをんで不仁に居るは、是れ猶ほ湿を悪んできに居るがごとし。し之を悪まば、徳を貴びて士を尊ぶにくは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、国家なりとせん。是の時に及んで其の政刑を明らかにせば、大国と雖も必ず之を畏れん。詩に云ふ、『天の未だ陰雨せざるにびて、彼の桑土をり、をす。今此の下民、敢て予を侮ること或らんや』と。孔子曰く、『此の詩をる者は、其れ道を知れるか』と。能く其の国家を治めば、誰か敢て之を侮らん。
人君がよく用意周到に国家治むれば誰か敢て侮ることなし
林和清『塚本邦雄の百首』
おどろくばかり月日がたちて葉櫻の夜の壁に若きすめらみこと 『詩歌變』
戦前戦中、昭和天皇の御真影は学校の教室はもちろん、家の鴨居などにうやうやしく掲げてあることが多かったという。もちろん塚本もそれを拝したことだろう。戦後、教育機関のものは焼却処分された。それを「奉焼」と呼んだらしい。
しかし家々には処分されず残されたものもあっただろう。長い年月が経ち、壁に残された御真影。それは三〇代の若さのままの昭和天皇の姿。写真自体はセピアに色褪せている。外はすでに花が散ってしまった葉桜の夜。磔にされたような時間がとどまっている。
花冷えのそれも底冷え圓生の「らくだ」火葬爐にて終れども 『詩歌變』
塚本邦雄は知る人ぞ知る古典落語愛好者。寄席に足を運ぶのではなくテープで聞くのが好きだったというのは、芸よりも噺に文学性を見出していたからであろう。それも高踏的な文学ではなく俗世間を舞台に描かれる人間の業や残虐性、露悪趣味などに魅かれていたと思われる。特にこの「らくだ」は典型的。死んだ男の弔いを出すために、廃品回収業の小人物に死体を背負わせ「かんかんのう」を踊らせるというグロテスクさ。社会底辺に生きる男たちと差別用語頻出の世界に「汚い美学」を味わっていたのだ。