10月14日(火)

今日も涼しいが曇り空。

  路上には鴉の羽一つしばらく行くと鳩の羽。争ひありしか

  鴉と鳩の争ひの跡どころ。どちらが勝ちか、これはわからぬ

  おそらくは鴉が勝つか鳩どもは圧服されてこの地に居らず

『孟子』公孫丑章句29 孟子曰く、「人皆人の心有り、斯に人に忍びざるの政有り。に忍びざるの心有り。先王、人に忍びざる人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること、之に掌上にらす可し。

  人に忍びざるの心をもつて政治を行なへば掌で物を転がすごとし

林和清『塚本邦雄の百首』

母がゐたとしても百歳 夕虹の東山區清閑寺歌ノ中山町 『不變律』

塚本邦雄の母・壽賀は、一九四四年に五四歳で他界している。もし存命ならこのころはほぼ一〇〇歳、と事実が詠まれている。「としても」のあたりに鬱屈する心理の複雑さが見える。きんさんぎんさんの双子も同じ年代だが、まだテレビに登場する前である。

清水寺から東山の中腹を南に行くと清閑寺がある。僧侶が美女に俗情をもよおし、和歌によっていさめられたという故事にちなむ地名である。初句六音、句またがりで二句体言止め、一字あけ。夕虹という季語でつなぎ、京都の実在地名で余韻を持たせる名人芸。

一瞬南京虐殺がひらめけれども春夜ががんぼひねりつぶせり 『波瀾』(一九八七)

この『波瀾』から後の歌集を後期塚本邦雄と規定すると、露骨に戦争への尽きぬ嫌悪がテーマとなる歌が増えてゆくのがはっきりわかる。ちなみに露骨の語源は「戦場に骨をさらすこと」である。

近年、歴史修正主義者が南京大虐殺に疑問を呈しているが、その数や規模の多寡が問題なのではない。人間とはその本質に残虐性を持つものであり、過去にも現在や未来にもそれは容易く発揮されるものだと塚本の歌は示している。血を吸うこともなくゆらゆら飛んでいるだけの虫をひねりつぶすのも同根なのだ、と。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA