朝、ゴミを捨てに行くときは雨だったが、後は曇りらしい。
鳩どもは何を狙ってマンションの屋上にゐる六羽そろつて
鴉が疾に追ひ払ふ鳩どもと思ふに六羽来てゐる
よく晴れたマンションの屋上に睥睨すこの世はすでに鳩どものもの
『孟子』公孫丑章句29-2 人皆人に忍びざるの心有りと謂ふ所以の者は、今、人ちの将にに入らんとするを見れば、の心あり。交はりを孺子の父母にるる所以に非ざるなり。誉れをにむる所以に非ざるなり。其の声を悪んで然るに非ざるなり。
人は皆忍びざるの心を持つゆゑに利害を考えず反射的に動く
林和清『塚本邦雄の百首』
ありあけの別れといへど父が子に言ふ斷魚渓冬の水かさ 『波瀾』
この歌集の中核を成す章「花鳥百首」は、「歌壇」誌上で行われた岡井隆「北京・ユーモレスク」との百首競詠をそのまま掲載したもの。タイトルからして古典和歌の典雅な調子だが、その小題は「秋風の飛騨へ奔るこころ」「斷魚渓冬のみづかさ」「こころは遊ぶ花なき峡」「尾張なる一つ松の花咲く」と少し趣が違う。俳諧趣味とでも言いたくなるような渋い俳味を帯びている。
この歌は島根県に実在する渓谷の名を用いて、父がその子に「冬の水かさ」のことを話すという、何気ない、しかし記憶に残る場面を小説仕立てにしている。
朝貌市を終りまで見て引きかへすわれの喪ひたるは一切なり 『波瀾』
塚本邦雄には『斷弦のための七十句』(一九七三)他、数冊の句集があり、戦後間もなく「火原翔」の名で多くの俳句作品を書いていたことも近年知られるようになった。特に「火原翔」の俳句作品が、後の前衛短歌の作品群へと昇華する過程は、島内景二の解説に詳しい。
塚本は初期から晩年にいたるまで常に多くの俳句を読み、自らも試み、大いなる糧としていたのだ。この歌も季語がよく生きていて、上の句だけで俳句になるかもしれない。ただやはり下の句が読後にたなびくように残る。喪ひたるは一切なり、一切なり……。