10月19日(日)

曇りから晴れ。

  ペットボトルのキャップをあけて水を飲む薬一粒、一粒飲んで

  バクトラミン・リクシアナ・セレスタミン・アクシロビル

  毎日の朝の薬剤六錠を飲み終へて息吐くときのやすらぎのあり

『孟子』公孫丑章句30-2 孔子曰く、『仁にるを美と為す。択んで仁にらずんば、焉んぞ智たることを得ん』と。夫れ仁は、天のなり。人のなり。之をむる莫くして不仁なるは、是れ不智なり。不仁 不智 無礼 無義は、人のなり。人の役にして役を為すことを恥づるは、ほ弓人にして弓をるを恥ぢ、矢人にして矢を為るを恥づるがごとし。し之を恥ぢなば、仁を為すにくは莫し。

  もし人に使はれることを恥づるなら仁を行なふよりなかろうや

林和清『塚本邦雄の百首』

三次の街に晝飯くらふさびしさは北さして流れゆく川ばかり 『黄金律』

三次とは広島県最北の山間部。「街」というほどの市街はないと思うが、そんな地で昼食を摂る作者。「くらふ」とあるので、一膳飯屋かうどん屋。気がつけば、ここはもう分水嶺を越えているので、全くの川は日本海を指して流れてゆく。まさに山陰の入り口なのだ。うらぶれた寂しさは作者の心でもある。

塚本邦雄は戦後、中国地方の営業所を転々としていたので、おそらく三次にも足を運んだことがあり、その記憶から詠まれた歌なのだろう。一切の美学のないこの素朴さは、有名ではないが私の最愛の歌である。

よろこびの底ふかくして迢空賞うけしその夜のほとほとときす 『黄金律』

塚本邦雄は第三歌集『日本人靈歌』にて現代歌人協会賞を受賞して以来、三〇年近く一切の賞から遠ざけられていた。第一五歌集『詩歌變』で詩歌文学館賞、そして第一六歌集『不變律』で迢空賞を受賞した。

全歌集『波瀾』の跋に、報われた感慨、と記されているが、迢空賞には複雑な思いがあったようだ。「釈迢空に塚本賞を贈りたいくらいだ」という発言もはっきり聞いた記憶がある。「ほとほとときす」は苦い含羞の思いだろうか。授賞式当日は恒例の欧州旅行の最中であり、子息の塚本靑史氏が代理出席された。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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