本当に久しぶりで日の出。雲が赤く染まる。
古井由吉『この道』を読む。その文に圧倒されつつ、その文に収められた「この道や行く人なしに秋の暮れ」や、宗祇の「世にふるもさらに時雨のやどりかな…」「人づまがまやの軒端の梅の花」「春雨よ木の葉みだれし村時雨/それもまぎるゝかたはありけれ」「私の小さな魂よ/愉楽のかぎろをつくし…」、そして芭蕉の「皿鉢ももほのかに闇の宵涼み」などの詩歌を織り込みながら「死」への階梯をゆくような、それでも死なないと言っているような不思議な色合いの文である。実際この書が生前最後のものであるらしい。この後には遺作を含む『われもまた天に』が出版されるが、それは次に読んでから。
コスモスとひまはりの花ともどもにひらく小径を歩みゆくなり
秋の花と夏の花とが混在す今年にもっともふさはしき処
コスモスは涕したりきひまはりは得意気に咲くこの小径なり
『孟子』公孫丑章句下34 孟子将に王にせんとす。王 人をして来らしめて曰く、「寡人就きて見る如き者なり。有り、以てす可からず。朝すれば将に朝を視んとす。識らず、寡人をして見るを得しむ可きか」と。対へて曰く、「不幸にして疾有り。朝に造る能はず」と。
斉王も病気、孟子も病気、王のもとへ至るに能はず
林和清『塚本邦雄の百首』
銀河鐡道錆びつつジョバンニとは甘つたれのヨハネ 『約翰傳偽書』(二〇〇一)
慶子夫人を見送り、近畿大学教授の職もやや不本意な経緯で退き、身辺に寂寥を増す暮らしとなった。しかし塚本は独居生活の不如意と闘いながら、執筆や講義の仕事をし、テレビ出演もこなしている。
これは生前最後の歌集となったが、直近何冊かの歌集と印象が違う。どこか艶なる甘やかさを感じるのはこの歌があるせいだろうか。宮沢賢治の小説の主人公ジョバンニの名は、使途ヨハネ由来であり、絵画ではよくイエスに甘えてもたれかかっている様が描かれる。「甘つたれ」という語が強烈に感覚へ訴えてくる。
切に實朝がなつかし鹿取に白萩五杯掃き捨てて後 『約翰傳偽書』
この歌集には源実朝への偏愛が見られる。四五六首の中の四首は少ないようだが、連作として集中的に詠まれるのではなく、違う章段に散見されるので、印象として濃厚に感じられる。この歌は、実朝作「萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきがはかなさ」へのオマージュであろう。「切に~なつかし」というストレートな思いに打たれたあと、鹿取という日常的で少し不浄な器物が作り出している景色が見えて来る。他の三首と比べて格段の出来であり、孤独な青年将軍へ寄せる思いが軽やかに表されている。