ぐずぐずと雨。
公園の砂地の轍に足取られふらつく老いを誰も見てゐず
けやき樹の上に広がるマンションの誰一人としわれを知らず
公園の木より飛びたつカワラヒワ海老名の鳥なりもっと顔出せ
『孟子』公孫丑章句下34-5 故に将に大いに為す有らんとするの君は、必ず召さざる所の臣有り。謀ること有らんと欲すれば、則ち之に就く。其の徳を尊び道を楽しむこと、の如くならざれば、以て為す有るに足らざるなり。故にのに於ける、学んで而る後に之を臣とす。故に労せずして覇たり。今、天下 地し徳しく、能く相ふる莫きは、他無し。其の教ふる所を臣とするに好んで、其の教へを受くる所を臣とするを好まざればなり。湯の伊尹に於ける、桓公の管仲に於けるは、則ち敢て召さず。管仲すら且つ猶ほ召す可からず。而るに況んや管仲を為さざる者をや」と。
湯王が伊尹に対し、桓公が管仲に対し召すべからずされば況やわれならなくに
さて今日から藤島秀憲『山崎方代の百首』にしようと思う。ふらんす堂の出したもので、林和清『塚本邦雄の百首』に継ぐものである。
わからなくなれば夜霧に垂れさがる黒きのれんを分けて出てゆく 『方代』
第一歌集『方代』の巻頭歌。発行は昭和三十年、四十一歳の秋。歌人に送っただけでなく、中村光夫、高見順、小林秀雄の自宅を訪れて手渡した(追い返されたこともあった)。さらに残ったものは横浜駅と東京駅で行く人々に配られたという。
この歌が発表されたのは昭和二十三年。目を負傷して戦地より帰った方代の今後の生き方にイメージが重なる。不透明な先には不透明が続く。わからなさは「黒きのれん」の先でも続いている。「のれん」で酒場を表わし、デカダンな雰囲気を作り上げている。
じめじめと父と母とがあらそひしあのあらそひは今もわからず 『方代』
方代が生まれた時、父龍吉は六十五歳、母けさのは四十四歳だった。龍吉は馬を引いて運送業を営むが、山っ気のある人で、開墾した山に桑畑を作るなどさまざまな事業に手を出し、そして失敗する。結局、運送業も立ちゆかなくなり家を売ることに。
確かに争いが多そう。父と母が争う理由が、子供の時には分からなくても、大人になった今なら分かるはず。
だが、「今もわからず」と知らぬふりをする。肩透かしを食わせるように読者を突き放す。方代短歌の特徴の一つだ。