11月6日(木)

今日も寒い。

  これの世の戦さ好きたちにもの申す人を殺すこと即座に辞めろ

  ガザ地区にいくたりの死者。イスラエルなど作らねばよし

  すべてを寛容にこそすべきなり調子に乗るなイスラエル軍よ

『孟子』公孫丑章句下37 孟子蚳鼃(ちあ)に謂ひて曰く、「子の霊丘を辞して士師を請ひしは似たり。其の以て言ふ可きが為なり。今、既に数月なり。未だ以て言ふ可からざるか」と。蚳鼃(ちあ)王を諫めて用ひられず。臣為ることを致して去る。斉人(せいひと)曰く、「蚳鼃の為にする所以は則ち善し。自らの為にする所以は則ち吾知らざるなり」と。(こう)都子(とし)以て告ぐ。曰く、「吾之を聞く、『官守有る者は、其の職を得ざれば則ち去り、言責有る者は、其の言を得ざれば則ち去る』と。我官守無く、我言責無し。則ち吾が進退は(あに)綽綽(しゃやくしやく)(ぜん)として余裕有らずや」と。

  孟子言ふ我れ官守なく言責なしされば我が進退は綽綽然たり

藤島秀憲『山崎方代の百首』

あたらしき悔い残すため生くるため今日も朝からセッコウをねる 『方代』、戦場で負傷して右眼は失明、左眼は0、01の方代だから、仕事で失敗することも多かったらしい。

「あたらしき悔い残すため」は今日も失敗するのではないかとの怯えであろうか。失敗すれば、負傷を悔やみ、生きる辛さに直面する。斜に構えているとか、ユーモラスに表現しようとか、そういう意図は感じない。

「残すため」「生くるため」と「ため」を繰り返してリズムを良くする。リフレインを方代は多用した。

宿無しの吾の眼玉に落ちて来てどきりと赤い一ひらの落葉 『方代』

葉が落ちて来て、どきりとした。要はそれだけなのだが、「どきりと」を赤の修飾に使い、目の前に落ちる情景を「眼玉に落ちて」と言い替えている。こういうところに方代の詩情を感じ取れる。

「眼玉に落ちて来てどきりと赤い」から思うのは、爆撃による破片である。焼けただれた破片はさぞ赤かったことだろう。視力を失う前の右眼が捉えた最後の色は赤だったのではないだろうか。    視力の低い方代は中間色をあまり使わず、原色を好んで使った。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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