朝から晴れ。秋らしい。
野崎歓『翻訳はおわらない』を読む。エッセイ風に書かれているが、鷗外の『ファウスト』論や『渋江抽斎』のことなど、また山田ジャク先生の話など、エピソード満載の書。興味深く読んだのだった。
朝ガラス鳴けばいづこに鳩どもは逃ぐるかむかうの公園の木々
公園にはすずめが領するけやきあり鳩がゆきてもすぐに立ち去る
本当は嫌いなカラスしかしよく鳩を追い払へさすればよきなり
『孟子』公孫丑章句下42-3 古の市為るや、其の有る所を以て、其の無き所に易ふる者なり。有司者は之を治むるのみ。賤丈夫有り。必ず龍断を求めて之に登り、以て左右望して市利を罔せり。人皆以て賤しと為す。故に従つて之を征せり。商に征すること、此の賤丈夫自り始まる」と。
市とは物と物とを交換するものなれど賤しきものがこれを壊す
藤島秀憲『山崎方代の百首』
瑞泉寺の和尚がくれし小遣いをたしかめおれば雪が降りくる 『右左口』
鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の寺院・瑞泉寺。一三二七年に創建、無窓疎石を開山とする。「花の寺」として知られる。現在の住職は歌人の大下一真氏。
この歌に出てくるのは先代の大下豊道和尚。「それはそれは、とてつもない偉い坊さんである」と方代は言っている。生きてゆくことが面倒になり、死を急ぐような気持ちにかきたてられるとき、方代は瑞泉寺を訪れた。「和尚の静かに語るお言葉の一つ一つを聞き留めていると不思議に心がなごんでくる」と『青じその花』に書いている。
ゆで卵ひとつ手に持ち急げども他人の敷居は高し 『右左口』
歌人の吉野秀雄宅も方代がしばしば訪れた他人の家。方代が言うには、吉野と大下豊道和尚は「人もうらやむじっこんの仲」。「人」は方代自身のことであろう。
手土産は山菜が多かった。行く途中で採ったものだから新鮮。でも、引け目はある。
「ゆで卵ひとつ」の土産と同じように自然と敷居は高くなる。
小道具の使い方がうまい方代だが、「ゆで卵ひとつ」も絶妙。シュールでありつつ、生活感がある。ポエムに両足を突っ込むことはせず、片足はポエムから出て現実という地を踏んでいた。