今日は曇り、そして寒い。
天の鬱気に圧せられわが軀にもこころにも何かが積もる
年寄りは熟れ鮨のごとく臭ひして癖あるも味には自信があるか
老いの臭さに辟易しつつ隠すやうに人の間を脱けてくるかも
『孟子』縢文公章句上50-3 孟子曰く、「許子は必ず粟を種ゑ、而して後食するか」と。曰く、「然り」と。「許子は必ず布を織りて然る後衣るか」と。曰く、「否。許子は褐を衣る」と。『許子は冠するか』と。曰く、「冠す」と。曰く、「奚をか冠する」と。曰く、「素を冠す」と。曰く、「自ら之を織るか」と。曰く、「否。粟を以て之に易ふ」と。曰く、「許子は奚為れぞ自ら織らざる」と。曰く、「耕すに害あり」と。曰く、「許子は釜甑を以て爨ぎ、鉄を以て耕すか」と。曰く、「然り」と。「自ら之を為るか」と。曰く、「否。粟を以て之に易ふ」と。「粟を以て械器に易ふるは、陶冶を厲ますと為さず。陶冶も亦其の械器を以て粟に易ふるは、豈農夫を厲ますと為さんや。且つ許子は何ぞ陶冶を為さず、皆諸を其の宮中に取りて之を用ふることを舎めて、何為れぞ紛紛然として百工と交易する。何ぞ許子の煩を憚らざつや」と。曰く、「百工の事は、固より耕し且つ為す可からざればなり」と。
ここでも歌にしない。
藤島秀憲『山崎方代の百首』
一本の傘をひろげて降る雨をひとりしみじみ受けておりたり 『こおろぎ』
一人なのだから一本の傘を広げるのは当たり前。なれど短歌は当たり前のことを歌ったときに何とも言えぬ可笑しみが生れて来る詩型。試しに「一本の」を「真っ黒な」とか「透明な」に替えてみると、ただただ陰惨な歌になってしまう。
当たり前を恐れなかった方代は当たり前の効用を知り尽していた。短歌史的に言えば、元祖当たり前とは言えないけれど、当たり前を短歌にもたらした功労者である。しかし、方代は独自さゆえに、短歌史の本筋から外れてしまうことが多い。
引っ越しの荷物を積めるリヤカーを止めて桜の花を見物す 『こおろぎ』
夜逃げではなさそう。前向きで建設的な引っ越しだろう。それは桜の持つ明るさ、春ののどかさ、見物するゆとりから来るイメージが所以。なんとも幸せそうな引っ越しの一場面だ。
『こおろぎ』には引っ越しの歌がもう一首ある。<引っ越し荷物の底から父母の位牌を出してまず供えたり>
窮屈なところに仕舞われていた父と母とにまずは落ち着いてもらう。放浪ではなく一か所に住まえる喜びが、滲み出ている。五十七歳で亡くなるまでの十三年間を暮らすことになる。