晴れ。寒い。
これの世とあの世とどれくらい違ひあるかたちまちのうち
少しづつ衰ふるならそれもよしさあれ死神はいつでも来たる
死神とはいかなる神か。おそらくは静かなる神、常に平常
『孟子』縢文公章句上50-5 堯の時に当りて、天下猶ほ未だ平らかならず。洪水横流し、天下に氾濫す。草木暢茂し、禽獣繁殖し、五穀登らず。禽獣人に偪り、獣蹄鳥迹の道、中国に交はる。堯独り之を憂へ、舜を挙げて治を敷かしむ。舜、益をして火を掌らしむ。益山沢を烈して之を焚き、禽獣逃れ匿る。禹九河を疏し、済・漯をして瀹して、諸を海に注ぎ、汝・漢を決し、淮・泗を排して、之を江に注ぐ。然る後中国得て食ふ可きなり。是の時に当りてや、禹外に八年、三たび其の門を過ぎて而も入らず。耕さんと欲すと雖も得んや。
藤島秀憲『山崎方代の百首』
ふるさとの右左口郷は骨壺の底にゆられてわがかえる村 『こおろぎ』
方代といえばこの歌、もっとも知られた歌である。
でも、「死ななければ帰れない」と読んでいる人が多い。もちろん、そう読むのも間違いではない。しかし、方代は生きているうちに何度も帰っている。父と母の墓を建てている。骨壺に入らなくても帰れる場所だ。
だから、死んでから帰ることのできる場所がある安心感を歌っていると読みたい。死ななきゃ帰れないような言い回しにしたのは演出と取りたい。ちょっと意地悪な見方をすれば、両親のためではなく自分のためであった墓の建立。けれども両親と一緒に入れる墓である。
みぞれ降る東北の町にあらわれてちぐはぐの靴を値切っている 『こおろぎ』
この歌を初めて詠んだとき、思わず唸ってしまった。なんて上手い人なんだろうと。だって、自分が東北の町に行ったことを「東北の町にあらわれて」と言えるなんて凄い。この人は自分をどこから見ているのだろう。現れた自分と見ている自分と二人の自分を持っていることが羨ましくなった。
そんなカメラワークの鋭い上句に対して……下句はセコイ、あまりにもセコイ。値切るのは良いとしても、なんで「ちぐはぐな靴」なんだ。あまりの異様さに、もう一度唸るしかなかった。