寒い。でも晴れ。
エレベーターに降りゆくとき三階の廊下に赤き手袋ぞある
一廻り歩いて帰るエレベーター上がるにどこにも手袋あらず
エレベーターに窓がある各階の廊下必ず見ゆる
『孟子』縢文公章句上50-11 「許子の道に従へば、則ち市の賈弐ならず、国中偽り無し。五尺の童をして市に適かしむと雖も、之を欺くこと或る莫し。布帛の長短同じければ、則ち賈相若く。麻縷糸絮の軽重同じければ、則ち賈相若く。五穀の多寡同じければ、則ち賈相若く。屨の大小同じければ、則ち賈相若く」と。曰く、「夫れ物の斉しからざるは、物の情なり。或ひは相倍し、或ひは什百し、或ひは相千万す。子比して之を同じうせんとす。是れ天下を乱すなり。巨屨・小屨 賈を同じうせば、人豈之を為らんや。許子の道に従ふは、相率ゐて偽りを為す者なり。悪んぞ能く国歌を治めん」と。
許子の言に従へばこぞってごまかし手を抜けりそれでどうして国治めんか
藤島秀憲『山崎方代の百首』
ここ過ぎてうれいは深し西行の歌の秘密はいまも分からない 『迦葉』
『青じその花』にこのような文章がある。
歌を作るのにはいろいろな条件がいるが、精神のコンディションを調整することが私にとってはまず先決である。歌の秘密というとおこがましいが、結局それに尽きるのではありますまいか。不仕合わせを、少しずつ生活の意識の中に混ぜておくのが精神のバランスである。つまり、ちょぴり不幸という薪をちょろちょろくべるということ(以下略)
幸せ一辺倒ではどうもイケないらしい。
西行の秘密が分からないまま方代は死んでしまった。
帰りには月は上りぬてらてらと月夜の晩の人となりたり 『迦葉』
「月夜の晩の人となりたり」なんて美しい表現なのだろうと、三句の「てらてらと」を隠して読めば思う。美しい表現をぶち壊してしまう「てらてらと」という俗すぎるオノマトペ。残念だよね~と普通なら言ってしまうのだが、美しすぎることを避けた方代の思いを感じてしまうので、許してあげることにする。
でも「ゆうらりと」などの抒情優先のオノマトペでは絶対に方代らしくない。方代が方代でいるための最低ラインが「てらてらと」であったように思う。自分の世界をとことん大切にした結果だ。