珍しく雨。やはて雨は上がるらしいが。
小林秀雄対話集『直観を磨くもの』を読む。湯川秀樹との対話、なかなかに興味深いが根本のところは、私には理解できない。大方そうなのだが、三好達治、梅原龍三郎や今日出海、そして河上徹太郎との対話は面白かった。とりわけ今との話の中で小林秀雄の母の信仰について触れている。へえっという感じを受けた。天理教、そして世界救世教に属していたこと。しかし、ずっと読んでいると、あら不思議。その特別な口調から小林秀雄の姿が彷彿してくるのだ。まるで私も小林秀雄と対話しているような……
焼津へはヤマトタケルも東征に訪れしもの。われも焼かれむ
ともすれば長く立ちどまる吾れならむいつか焼かれむ日も遠からず
階段を降りるのが人より遅くして一段一段踏むやうにして
(本当はこの日に来るものが、11月29日に行っている。ご勘弁を)
『孟子』縢文公章句下59 (これも順番が変ですが、本来なら12月27日に来るものです。つまり、この日を抜いて、続けてしまったという失態です。)
戴盈之曰く、「什一にして、関市の征を去るは、今玆は未だ能はず。請ふ之を軽くし、以て来年を待ち、然る後に已めん。如何」と。孟子曰く、「今、人日に其の鄰の雞を攘む者有らんに、或るひと之を告げて曰く、『是れ君子の道に非ず』と。曰く、『請ふ之を損して、月に一雞を攘み、以て来年を待ち、然る後に已めん』と。如し其の義に非ざるを知らば、斯に速やかに已めんのみ。何ぞ来年を待たんや」と。
君子ならば正しくないと知ったならばすぐさまやめること
川本千栄『土屋文明の百首』
父死ぬる家にはらから集まりておそ午時に塩鮭を焼く 『往還集』
<病気で危篤の父が死につつある家に兄弟が集まって、遅い昼食のために塩鮭を焼く>
自分の父が死んでいく場面を淡々と歌にしている。物欲を追い続けた父であった。それぞれ別に住み、普段会わない兄弟たちが、集まって臨終の時を待っている。「父死ぬる」と事実だけをそのまま言い、「塩鮭」という具体的で日常的な食材で場面を表わす。冷静すぎるほどに事実だけを述べ、感情を抑えた表現だが、底には深い悲しみがこめられている。前年、子供時代の文明を可愛がってくれた祖母も、父の震災バラックで死んでいる。
新しき地図を買ひ来て夜ごと読むいづへの海に行きて眠らむ 『山谷集』
<新しい地図を買って来て夜ごとに読む。どのあたりの海へ、旅に行って眠ろうか。>
昭和四年末頃の日常生活の一場面。この頃日本の国土は、近代化によって変わっていく時期でった。鉄道や道路や橋ができ、都市化が進んだ。ある日、そうした変化を載せた、新しい地図を買って来た。毎晩、少し心の余裕のある時に、地図を読んで様々に思いを巡らせている。いつか旅行で、どこかの海に行きたい。どこの海へ行こうか。そんなささやかな空想が、日常の中に小さな灯りをともすように歌われている。