まあまあ曇りといったとこか。寒いらしい。
赤いトマト・黄色いトマト・緑のトマトが笑ひ合ふ卓の上にはトマトの笑ひ
C級の傷あるトマトもトマトなりたいせつにあつかふ真のトマト
黄色いトマト・緑のとまとに蔕をとる妻の表情なごみをりたり
『孟子』縢文公章句下56 万章問うて曰く、「宋は小国なり。今、将に王政を行はんとす。斉・楚悪んで之を伐たば、則ち之を如何せん」と。孟子曰く、「湯 亳に居り、葛と鄰を為す。葛伯放にして祀らず。湯人をして之を問はしめて曰く、『何為れぞ祀らざる』と。曰く、『以て犠牲に供する無きなり』と。湯人をして之を牛羊を遺らしむ。葛伯食ひ、又以て祀らず。湯又人をして之を問はしめて曰く、『何為れぞ祀らざる』と。曰く、『以て粢盛を供する無きなり』と。湯 亳の衆をして往きて之が為に耕さしめ、老弱食を饋る。葛伯其の民を率い、其の酒食黍稲有る者を要して之を奪ひ、授けざる者は之を殺す。童子有り、黍肉を以て餉る。殺して之を奪ふ。書に曰く、『葛伯餉に仇す』と。此の謂ひなり。其の是の童子を殺すが為にして、之を征す。四海の内皆曰く、『天下を富めりとするに非ざるなり。匹夫匹婦の為に讐を復するなり』と。
川本千栄『土屋文明の百首』
衣の裾に蛍はつつみ萱草の葉笛をならし来るわが弟 『ふゆくさ』
<短い着物の裾に蛍を包んで片手で持っている。布を通して蛍が光っている。もう片方の手で草笛を吹きながらやって来る私の弟。>
十歳前後だろうか。まだあどけなさの残る、農村少年の姿だ。四人の弟の一番末で、年は一回りほども離れている。「蛍は」の「は」に、得意そうな弟の顔が浮かぶ。「来る」から、まさに令弟がやって来るような印象を受ける。しかしこの姿は回想で、弟は文明の土産の蟹で中毒になり、十五歳で亡くなったのだ。一首に、自分のせいで死なせてしまった弟への愛惜が滲む。
旱つづく朝の曇よ病める児を伴ひていづ鶏卵もとめに 『ふゆくさ』
<旱と言えるほど乾燥した、暑い毎日が続く夏の曇った朝、病気の子を連れて卵を求めに出かけた。>
「いづ」は「出づ」。文明は大学卒業後、高等女学校の教頭として長野に赴任した。テル子と結婚して、一男一女にも恵まれた。しかし、結局六年で長野の教育界を去り、単身東京へ戻った。長男夏実は病弱で、文明が帰省したこの時も大病し、歩けないほど弱っていた。ある日、文明は子を連れて出かけた。卵を食べさせて、子に栄養をつけてやりたいのだ。父親である自分も酷暑のためか、どこか疲労した気分を抱いている。