12月22日(月)冬至

まあまあ曇りといったとこか。寒いらしい。

  赤いトマト・黄色いトマト・緑のトマトが笑ひ合ふ卓の上にはトマトの笑ひ

  C級の傷あるトマトもトマトなりたいせつにあつかふ真のトマト

  黄色いトマト・緑のとまとに蔕をとる妻の表情なごみをりたり

『孟子』縢文公章句下56 万章問うて曰く、「宋は小国なり。今、将に王政を行はんとす。斉・楚(にく)んで之を伐たば、則ち之を如何せん」と。孟子曰く、「(たう) (はく)に居り、(かつ)と鄰を為す。葛伯(ほしいまま)にして祀らず。湯人をして之を問はしめて曰く、『何為れぞ祀らざる』と。曰く、『以て犠牲に供する無きなり』と。湯人をして之を牛羊を(おく)らしむ。葛伯食ひ、又以て祀らず。湯又人をして之を問はしめて曰く、『何為れぞ祀らざる』と。曰く、『以て(し)(せい)を供する無きなり』と。湯 (はく)の衆をして往きて之が為に耕さしめ、老弱(し)(おく)る。葛伯其の民を率い、其の酒食(しゆし)(しよ)(たう)有る者を要して之を奪ひ、授けざる者は之を殺す。童子有り、(しよ)(にく)を以て(おく)る。殺して之を奪ふ。書に曰く、『葛伯(かれいひ)に仇す』と。此の謂ひなり。其の是の童子を殺すが為にして、之を征す。四海の内皆曰く、『天下を富めりとするに非ざるなり。匹夫匹婦の為に(あだ)を復するなり』と。

川本千栄『土屋文明の百首』

衣の裾に蛍はつつみ萱草の葉笛をならし来るわが弟 『ふゆくさ』

<短い着物の裾に蛍を包んで片手で持っている。布を通して蛍が光っている。もう片方の手で草笛を吹きながらやって来る私の弟。>

十歳前後だろうか。まだあどけなさの残る、農村少年の姿だ。四人の弟の一番末で、年は一回りほども離れている。「蛍は」の「は」に、得意そうな弟の顔が浮かぶ。「来る」から、まさに令弟がやって来るような印象を受ける。しかしこの姿は回想で、弟は文明の土産の蟹で中毒になり、十五歳で亡くなったのだ。一首に、自分のせいで死なせてしまった弟への愛惜が滲む。

旱つづく朝の曇よ病める児を伴ひていづ鶏卵もとめに 『ふゆくさ』

<旱と言えるほど乾燥した、暑い毎日が続く夏の曇った朝、病気の子を連れて卵を求めに出かけた。>

「いづ」は「出づ」。文明は大学卒業後、高等女学校の教頭として長野に赴任した。テル子と結婚して、一男一女にも恵まれた。しかし、結局六年で長野の教育界を去り、単身東京へ戻った。長男夏実は病弱で、文明が帰省したこの時も大病し、歩けないほど弱っていた。ある日、文明は子を連れて出かけた。卵を食べさせて、子に栄養をつけてやりたいのだ。父親である自分も酷暑のためか、どこか疲労した気分を抱いている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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