晴れてたかな。
相模川下流域には草叢が小さき島なす。その間に川
湘南銀河大橋てふ大仰なる名の橋渡り北澤映月の絵を観むとして
松園に麦僊に師事する映月の絵の美しさなかなかなりき
『孟子』縢文公章句下58 公孫丑問うて曰く、「諸侯を見ざるは、何の義ぞや」と。孟子曰く、「古は臣為らざれば見ず。段干木は垣を踰えて之を辟け、泄柳は門を閉ぢて内れず。是れ皆已甚し。迫らば斯に以て見る可し。陽貨、孔子を見んと欲して、礼なしとせらるるを悪む。大夫、士に賜ふこと有るに、其の家に受くること得ざれば、則ち往きて其の門に拝す。陽貨、孔子の亡きを矙ひて、孔子に蒸豚を饋る。孔子も亦其の亡きを矙ひて、往きて之を拝せり。是の時に当り、陽貨先んぜり。豈見ざるを得んや。曾子曰く、『肩を脅かし諂ひ笑ふは、夏畦よりも病る』と。子路曰く、『未だ同じからずして言ふ。其の色を観るに、赧赧然たり。由の知る所に非ざるなり』と。是に由りて之を観れば、則ち君子の養ふ所、知る可きのみ」と。
君子の養ふところは浩然の気なることおのづからわかる
川本千栄『土屋文明の百首』
春すぎてゆくと云ふことも思はざりき桜のこれる今日は遇ひける 『往還集』
<もう春が過ぎて終ってしまうのだということすら意識していなかった。まだ散らずに残っていた桜に今日は偶然出会ったのだ。>
忙しい毎日、疲労感を感じながら過ごしている。季節の移り変わりに鈍感になっていたが、今日まだ咲いていた桜に出会い、春の終りを強く感じた。散り残る桜だからこその美しさだろう。韻律は、五・八・六・八・七と、定型をはみ出している。初句と結句で整えてはいるが、二句から四句のぼんやりと緩い韻律に、日常生活に疲労した心境が滲む。
しかすがに草野の中をゆく水をこひ思ひつつ眠る今夜も 『往還集』
<そうはいうものの、草野の中を流れて行く水を、恋い求めるように思いつつ眠るのだ、今夜も。>
「しかすがに」は「そうはいうものの、そうではあるが」という意味の歌ことば。「こひ」は、慕う「恋ひ」と求める「乞ひ」の両方の意味を掛けている。
昭和四年「日常吟(三)より。この連作では日常生活の細かい場面と、思い通りに行かないできごとにいらいらする様子が描かれている。そんな日々でも、寝るときには、草原をゆく水のような、遠く澄んだものを恋う。疲労と寂しさの中に一抹の清涼感が感じられる。