2024年3月21日(木)

今日も青空、しかし寒い。北西の強い風がある。ベキシブル一錠、副作用がでなかった。  

  べレキシブル再開するに一夜経て副作用なしほっと息する

  今後のことはいまだ判らずべレキシブル服用しつづける他に手立てなし

  首傾け身体かたむけわが立つにたましひも傾ぐ混濁してゐる

『論語』雍也六 孔子が言った。仲弓は、「犁牛の子」、赤い毛並みでも角がよければ、用いないでおこうと思っても、山川の神々の方でそれを見捨てておこうか。抜擢されるに違いない。

  仲弓は微賤の出でも角が良し山川の神に抜擢されるべし

『正徹物語』85 恋の歌で、定家ほどのものは、昔も今も決してあるまい。「待つ恋」の題で、このように詠んでいる。
・風あらきもとのあらのの小袖萩に見て更けゆく月におもる白露(拾遺愚草858)

この歌は、自分の身を題の中に置いて詠んでいるので、「待つ」という語を使わなくても、人を待つ意が伝わってくる。はてさて、世迷言を言っているように思えるだろう。しかし深く考えてみれば、「骨髄に通じて面白きなり」。萩の花が咲き乱れている庭を眺めて人を待っていると、小萩に風が強く吹いて、露がこぼれ落ちるのが、人を待ちわびて落ちる袖の涙と同じに見え、夜更け月が傾くにつれて、いよいよ袖は涙に重くなり、小萩の露と競っているような情景が思い浮かび、人を待つ心も深く感じられる。「縁のはしへも出でて、眺め居てこそあるらめ」とも想像されるスタイルだ。「まことに心くるしく夜もすがら待ち居たるすがた、艶にやさしき。」

  定家の歌かくも好めばこの歌から人待つ侘しさこれこそ艶なり

『伊勢物語』三十六段 むかし、「忘れぬるなめり」と問しごとしける女に歌を送った。
・谷せばみ峯まで延へる玉かづら絶えるむと人にわが思はなくに

わたしの思いも玉蔓のように絶えることなく続くよ、と言っている。女は、男を迎えたということだろうか。

2024年3月20日(水)

春分の日だけれども、北風強く寒い。とにかく風が強い。地下鉄サリン事件から29年。私も危なかったが、かろうじて抜け出た。

  コーヒカップにわづかに残るカフェインの苦みあり朝食の暫時(しばらく)の後

  適温のバスにつかりてくつろげるわがからだときにとけるがごとし

  いまだ暗きに朝がらす鳴く声聴こゆやかましやかましその濁声は

『論語』雍也五 孔子が、魯の司寇(司法大臣)であったとき、原思(孔子の門人、清貧の人であった)は、その家宰になったが、九百の穀物を与えられて辞退した。孔子は「いやいや、それは隣近所にやることだ」といった。

  家宰である原子に粟九百を与へれば辞退す清廉なりき

『正徹物語』84 「風に寄する恋」の題に、次のような歌を詠んだ。
・それならぬ人の心のあらき風憂き身にとほる秋のはげしさ (出典不明だそうだ)

「人の心が冷たく酷であるのは、風のように吹かぬものであるとはいえ、激しく向かってこられると、身を貫くように悲しい。」この歌では、「それならぬ」を際限なく置き換えて試した。「忘れ行く」「かはり行く」とも候補は千も万もある。「忘れ行く」では弱い。「それならぬ」とは、私の知る人ではない、ということだ。はじめはニコニコ愛想がよかあたのに、今は激しく当たるので「その人ではない」もである。「秋」にもよくあう。自分んことに厭きてしまった人は、もうその人ではない。

  それならぬ人とはいづれ「忘れゆく」でも「かはりゆく」でもないこの辛さこそ

『伊勢物語』三十四段 男が、ふりむいてくれない女に詠んだ。
・言へばえに言はねば胸にさわがれて心ひとつに歎くころかな
情けなくもやむにやまれぬ、あわれな男ごころではないか。

2024年3月19日(火)

昨日とは変わって曇って寒い。メディカルプラザで採血、診察の日だ。

  すずめ一羽木々を移りて葉がくれに鳴く声嬉し一日のはじまり

  仮面劇の(おもて)を模写する困難もかえつて愉したましひ込めて

  麺麭を喰うにわれは富者とはおもへざるこの世いきがたし貧富の差あり

『論語』雍也四 子華が斉に使いにいった。冉子は、その留守宅の母のために穀物をほしいと願った。(ふ)(六斗四升)を与え、増やして(ゆ)(十六斗)を与えよといわれた。冉子は無断で五(へい)(八十斛)を届けた。孔子が言った。「赤が斉に行く時、立派な馬に乗って、軽やかな毛皮を着ていた。私の聞く処では、君子は困っているものを助けるが、金持ちにはそんなことはしない。」冉子が間違っているのか、子華なのか。少なくとも子華は君子ではない。それとも二人とも君子ではないということか。

  子華、冉子ともに君子にあらざるか急を助けて富めるに継がず

『正徹物語』83 「あまのすさみ」とは、海水を煮て塩を取ったり、海藻を搔き集めたり、貝を拾うといったことをいう。こういう日常の営みを「あまのすさみ」という。
・かきやれば煙たちそふもしほ草あまのすさびに都こひつつ」(『拾遺愚草』1392)「すさみ」は慰みごとの意にもなるので、注意を喚起したか。

  『拾遺愚草』の「あまのすさみ」を読めざるか正徹嘆きてかく言ひたまふ

『伊勢物語』三十三段 昔男、摂津の国莵原の郡(兵庫県芦屋あたり)に住む女のもとに通っていた。女は、今度男が都へ帰ってしまったら、わたしのもとへは二度と来ないであろう。すると男は詠んだ。
・葦辺より満ちくる潮のいやましに君に心を思ひますかな

女は返した、
・こもり江に思ふ心をいかでかは舟さす棹のさして知るべき
ひなびた里の女の歌のよしあしなどと、ばかにしたものではない。どうしてすぐれた返しではないか。

2024年3月18日(月)

よく晴れて、山側が霞んでいるのは杉花粉だろうか。鼻水が垂れる。

  キッチンにこまかく動く妻の手もと南瓜、筍、人参、大根

  むつかしき表情に妻が考ふる金銭、経費をノートに記す

  雲古の太き二本がわだかまる便器の底の水流の渦

『論語』雍也三 哀公が「弟子の中で誰が学問好きでしょうか」。孔子の答え「顔回という者が学問好きでした。怒りに任せての八つ当たりせず、過ちを繰りかえすことはなかった。不幸にも短命でした。いまは死んでいません。学問好きは、ほかには聞いたことがありません。」

  顔回の学を好むを愛したる孔子に歎きあり短命なりき

『正徹物語』82 「幽玄体」は、そのような和歌を詠める段階に達して初めて理解できる。人が「幽玄なことであるよ」と褒める歌は、単に余情体であり幽玄体ではない。ある人は物哀体を幽玄というが、これも違う。みな一緒くたに幽玄としている。定家は、「昔、紀貫之といった大歌人も、理屈の通った体は詠みましたが、幽玄味のあふれる体は詠まなかった」と書いた。物哀体は歌人ならば誰でも詠む。

  幽玄は余情と物哀とは別のもの紀貫之にも幽玄はなし

『伊勢物語』三十二段 男がいた。かつて情をかわした女に、何年かたって、歌を詠んでおくった。
・いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすもよしがな

この歌をどう思ったのだろうか。それは女しかわからぬことだ。返歌はなかった。

侘しい思いが残るのは、私の弱さであろうか。

2024年3月17日(日)

今日は20℃になるらしいが、朝は寒かった。ぼわっと霞んでいるようだ。杉花粉だろうか。

  老いの眠り丑三つ時に目をさますひたひたと踏む足音聴こゆ

  その音に怯えて暫時(しばし)動けざる廊下の隅にたたずむ影あり

  仮面劇の仮面を模写しこころ動く面のたましひにわが(たま)感ず

『論語』雍也二 仲弓が子桑伯子(不明。当時の政治か)のことを訪ねた。孔子が言う。「結構だ。おおようだ。」仲弓がさらに問うた。「慎み深く、おおように行ない、それで民に臨むならば、いかにも結構。しかしおおように構えておおように行なうのでは、おおようが多すぎるのではあるまいか。」孔子は「雍の言、然り」と言った。

  必ずしも子桑伯子はよからずと仲弓は思ふ「雍の言然り」

『正徹物語』81 制詞(使用を禁じられた詞。「ぬしある詞」)と言って、「うつるもくもる」「我のみ知りて」など書きだした一句の名言を、さも自分で詠んだ顔をして密かに本歌に取ることは禁じられている。コソコソ取る事を厳しく禁じている。本歌を取るとは、たしかにその歌を取ったと思わせて取る事だ。また現在活動している者、既に故人でも、ここ百余年の歌人の作は本歌に取らないことである。

  制の詞厳然とある時代なりこの百余年の歌をば取らず

『伊勢物語』三十一段 男が宮中を歩いていた時、さる身分の高い女房の部屋の前を通りかかった。女房と男は、昔は深い仲であった。しかし男は女房の部屋を素通りした。「よしや、草葉よ。ならむさが見ゆ(今はいきおいよく生い茂っているけれど、末はどうかしら)」と女房は、まるで敵対しているかのように言った。そこで男が詠んだ。
・罪もなき人をうけへば忘れ草おのが上にぞ生ふといふなる

これを聞いて、くやしがる女がいた。おそらく女の方が問題で別れたのであろう。

2024年3月16日(土)

いい天気であり、日中19℃になるらしい。

きのう届いたのだが、

  亀鳴屋から届くはずの本遅く焦れたり『徳田秋聲俳句集』

  限定番号342さみどりの本うつくしかりき

  少し許り暖かになる空の色うすら暈けたる富士山の白

『論語』雍也(ようや)第六 一 孔子が言う「雍や南面せしむべし。」雍は孔子の門人の冉雍(ぜんよう)。雍は、立派な政治家になれるとのこと。

  雍なれば南面せしむべし孔子のたまはく絶賛の辞

『正徹物語』80 遍照の「かかれとてしも」(たらちめはかかれとてしもむばたまのわが黒髪をなでずやありけむ 御饌集1240)という句を取って詠んだ歌は、昔からたくさんある。誰の歌か、紅葉を詠んで「かかれとてしも染めずやありけん」(頓阿 露霜はかかれとてしも山風の誘ふ木の葉を染めずやありけむ 草庵衆684)がある。

三代集などに載る古歌を取って詠むのに、たとえば「月やあらぬ春や昔」(の春ならぬ我が身一つはもとの身にして 古今集747伊勢物語四段)を取って詠むとしたら、「月やあらぬ」を第三句に置き換えて詠むのはいい。はっきりとその歌を取ったと示しながらとる事は「古人ゆるし侍るなり」。

  月やあらぬ昔の春を思ひをりこの世に一人われのみにして

『伊勢物語』三十段 昔男が思いをよせた女は、わずかの時しか逢ってくれなかった。その女に詠んだ。
・逢ふことは玉の緒ばかり思ほえてつらき心の長く見ゆらむ
「逢うのは一瞬、恨みは永遠」と川上弘美は訳す。

2024年3月15日(金)

いい天気だ。リハビリ、関山さん。

  どこからか家のうち蠅が来て游ぶ頼りなげなり春には早く

  よろよろと飛ぶ蠅のあとをたどりつつつひにつぶせりまだ弱き蠅

  ベランダの窓のあたりを旋回す力なき蠅いささか気の毒

『論語』公冶長二八 孔子が言う。「十室の邑(村)」には、必ず丘(孔子)くらいの忠信の人はきっといる。丘の学問好きには及ばないだけだ。

  十室の邑にわたくしほどの忠信ありされど及ばぬわが好学心には

『正徹物語』79 「鎌倉の右府」は、頼朝の子である実朝のことである。68段の補足か。

  鎌倉の右府とは誰のことをいふ頼朝の子の実朝ならむ

『伊勢物語』二十九段 
東宮の女御、二条の后の御殿で、花の賀のうたげが催された。男は、召し加えられ、歌を詠んだ。
・花に飽かぬ嘆きはいつもせしかども今日の今宵に似る時はなし