2024年3月14日(木)

今日もよく晴れている。河原まで歩いてきた。今の私には、なかなか難儀である。

  どら焼きを頬張るときのしあはせを人には告げず一人食らはむ

  どら焼きの餡がはみだすことありてたつぷりあんこがあふれだすなり

  どら焼きを喰えば秘密の時間ありつぶ餡、こし餡、あんこひようげる

『論語』公冶長二七 孔子が言う、「已んぬるかな。吾れ未だ能く其の過ちを見て内に訟むる者を見ざるなり。」孔子の嘆きです。

  已んぬるかな、もうおしまひだ過ちに気づいて責むる者をしらざる

『正徹物語』78 「えび染めの下襲」は(ぶ)(だう)色をしている。葡萄の熟した色は、紫黒色をしている。この色を「えび染め」という。ちなみに「葡桃」と書いて「えびかづら」と読む。まあ、これも『源氏物語』、「えび染めの下襲、裾いと長く引きて」(花宴巻)。正徹の薀蓄かな。

  「えび染め」とは葡桃色したるものなりけり得意げにいふ正徹の顔

『伊勢物語』28 色好みの女がいた。男のもとから去ってしまった。男は詠んだ。
・などてかくあふごかたみになりにけむ水もらさじとむすびしものを

2024年3月13日(水)

昨日までと打って変わって快晴である。しかし北風が寒い。リハビリは椎名さん。肩の凝りをほぐしてくれる。

昨日は雨だった。

  雨の中手すりを歩む鶺鴒の淑女のごとく下手にし去る

  ベランダの手すりの上を胸張りて淑女然たる鶺鴒歩む

  この世から別乾坤へわれもまたわれにはあらぬわれならなくに

石橋正孝『大西巨人 闘争する秘密』(左右社)を読む。現代思想めいた文体が、気に食わないものの、大西巨人は好きな作家だから、興味深い内容であった。大西巨人が短歌を愛する人であることは『神聖喜劇』を読めばよくわかることだし、詩歌のアンソロジー『春秋の歌』一冊があることでもわかる。この『闘争する秘密』でも、二首の短歌が問題になっている。その二首を上げておく。
・この道を泣きつつわれのゆきしことわが忘れなばたれか知るらむ 田中克己
・この道をこのとき行くはわれのみかわれのみかとて涙ながるる 作者不詳

「どちらの短歌も、多かれ少なかれセンティメンタリズムに堕している」と批判して、デ・ラ・メアの詩と比較するのだが、私はこれらの歌が好きだ。 

『論語』公冶長二六 顔淵(顔回のこと)と季路(子路のこと)がおそばにいたとき、孔子先生が言われた「蓋ぞ各々爾の志を言はざる」。子路は「願はくは車馬衣裘、朋友と共にし、これを敝るとも憾みけん。」顔回は「善に伐ること無く、労を施す無けん。」子路が孔子に聞いた。「願はくは子の志を聞かん」、そうすると「老者はこれを安んじ、朋友はこれを信じ、小者はこれを懐けむ。」孔子が素直に答えている。

  孔子の志を問う老人には安心をさせ、友を信じ、若者を慕ふ

『正徹物語』77 かば桜は、一重桜である。『源氏物語』幻巻「枝アカウシテ花モ紅梅ニテ艶ナル桜ナリ」。

  樺桜を問はれて答ふ枝赤くして紅梅に似る一重のさくら

『伊勢物語』二十七段 男が女のもとへ一夜だけ行き、通わなくなった。手水場の盥のふたである貫簀を、女は払いのけてのぞきこんだ。そこには一人の女が映っていた。
・わればかりもの思ふ人はまたもあらじと思へば水の下にもありけり

通いやめてしまった男は、女のその歌を立ち聞きしていた。そしてこんな歌を詠んだ。
・水口にわれや見ゆらむ蛙さへ水の下にてもろ声に鳴く

女は、男の顔が映っているのを、自分の顔が映っていることにして歌を詠んだのである。

2024年3月12日(火)

朝から曇り、やがて雨になる。

  わだかまる雲古でたるはよけれども肛門裂けて赤き血の付く

  赤き血のまじれど雲古いでたるはよろこばしきと老いがつぶやく

  もの干しは雨そぼ降りてわが下着乾かずにいつまでも濡れてゐる

『論語』公冶長二五 孔子が言った。巧言、令色、足恭(うやうやしい)なるは、左丘明(不明だが、有名人らしい)は恥とした。私も恥とする。怨みを隠して友になる。左丘明これを恥ず。私もこれを恥とする。

  左丘明に事借りて孔子の恥を知る生き方説けり恥こそよけれ

『正徹物語』76 定家が書いたもの(「愚見抄」)に、「歌はどのように詠むべきでしょうか、と亡父(俊成)に尋ねたところ『心の働きに合わせようとするのがよい』と言われた。「今も思ひ合はせられて、ありがたき親の教へ」である。ただ心ざしに深浅がある。初心の者は、浅く狭い心の働く範囲に収まるように、実直に詠むがよい。熟達した後では、どんな才気に任せても、心の働く域は深く広いから、そこに収まる。

  心の働くままに詠むべしと俊成言ひきありがたかりし

『伊勢物語』二十六段 昔男がいた。五条あたりの女に恋をしたが、失敗した。苦しんでいるところに友から手紙をもらい、慰められた。返事に、こんな歌を詠んだ。
・思ほえず袖にみなとの騒ぐかな唐船の寄りしばかりに

2024年3月11日(月)

東北大震災から13年、このあたりは震度5弱であったが、マンションの9階、あの日の揺れを忘れることはない。

  大揺れの感覚いまも忘れがたしこの大揺れに滅びむとする

  いとしき老若男女の死者たちの踊りあるべし輪をなすごとく

  まだ幾体の死者がゐるかくれひそみて夜更けつぶやく

『論語』公冶長二四 孔子が微生高(魯の人)についていった。微生高を正直だなどと誰がいうのか。酢を借りにいったら、隣からもらってきて、それを与えたんだぞ。

  微生高はけちなひとにて誰がいふ正直者などもってのほかなり

『正徹物語』75 優れた人の和歌は、どんなことを詠んでも、「一ふしの興ありて面白き」。初心者が、これを羨んで、これに似せようと詠めば、支離滅裂。「これは何をあそばし候ぞ」と尋ねると、「我もえしらず」といい、「たはごとを」詠む。気をつけねばならない。初心の時は、「ただうちむかひて、一首がさはさはと理のきこゆるように詠むべきなり。」位に達していないのに達者の真似をすれば、珍妙な歌ができるばかりだ。

  初心のものはただうちむかひさはさはと理のきこゆるがよし

『伊勢物語』二十五段 昔男が、逢えるかと思っていたのに、結局逢えなかった女に、歌を贈った。
・秋の野に笹わけし朝の袖よりも逢はで寝る夜ぞひちまさりける

女は、恋のこと男のことをよくわかっていた。だから、あえてこんなふうに返した。
・みるめなきわが身をうらと知らねばや離れでなで海人の足たゆく来る

う~む、女が一枚上手。これをみやびというのか。

2024年3月10日(日)

朝から晴れ。しかし寒い。東京大空襲から79年、明日は東北大震災から13年、三月は地下鉄サリン事件もあるし、災害・事故・事件が多い。

砂原浩太朗『霜月記(そうげつき)』を読む。神山藩三作目。このたびは町奉行家をめぐる話であ る。祖父と孫。孫が十八歳で奉行職を継ぐ。父は奉行を辞し出奔。そこから話ははじまるが、後は読んでもらうのがいいだろう。注意してほしいのは、鶯からはじまり鶸まで、野鳥が多く出てくることだ。読みながら野鳥をチェックしてほしい。私はそうした。

  名奉行の祖父に教はる孫ありぬ草壁総次郎十八なりき

  もの干し竿から靴下右足飛びだしていづくへゆくか青き冬空

  靴下にも冒険したき時がある遠くへ風に乗りてゆくべし

『論語』二三 孔子の言。伯夷・叔斉(殷の時代の兄弟。国をゆずりあい、殷の紂王を討とうとする周の武王をいさめ、仕官せず餓死した精錬の士)「旧悪を念はず」、だから怨まれることも少なかった。

  伯夷・叔斉旧悪を思はず怨み希なりと絶賛するなり孔子先生

『正徹物語』74 兼好が「花はさかりに、月はくまなきのみ見るものかは」というような心根を持った者は世間には他に誰もいない。兼好とは俗体時代の名で、久我か徳大寺か、大臣の諸大夫でいた。官が滝口の侍であったので、禁中の宿直などで常に天皇の傍に仕えた。後宇多院の崩御にともなって遁世。「やさしき発心の因縁なり」。ずいぶんお歌仙であり、頓阿・慶運・静弁・兼好と四天王であった。徒然草は、清少納言の枕草子のようである。

  花、月の風雅を知るは兼好のみ和歌にすぐれて徒然草書く

『伊勢物語』二十四段 昔男、片田舎にすんでいた。宮仕えしにとて三年たった。待ち侘びて、女は、ある男に「今宵あはむ」と契りける日、かの男が戻ってきた。「この戸をあけたまへ」と男はいったが、女は開けずに歌を詠んだ。
・あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ

男は返した。
・梓弓真弓槻弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ

男が去ろうとすると、女は詠んだ。
・梓弓引けど引かねど昔より心は君によりこしものを

とっ言ったけれど男は去った。後を追ったが追いつけない。清水の湧いているところで、女は倒れ伏した。指の血で清水のはたの岩に女は書きつけた。
・あひ思はで離れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる

女は、そのまま息絶えた。 なんともあわれな話である。

2024年3月9日(土)

朝は靄がただよい、山は雪で白く幻想的な景色であった。

  胎児がみる夢のごとくに壮大なる宇宙のひろがりいのちの力

  夜がらすの鳴くこゑ聞こゆくらやみのいづくに鳴くやその不気味ごゑ

  不穏なり。夜がらす鳴けば戦代(いくさよ)のごとくに今日も人殺さるる

『論語』公冶長二二 孔子が陳の国で言った。「帰らんか、帰らんか。」「吾が党の小子」美しい模様を織りなしてはいるが、どのように裁断したらよいかわからないでいる。帰って私が指導しよう。なるほど。

  陳の国にて孔子がいふ「帰らむか、帰らむか」帰りて党の小子を鍛ふ

『正徹物語』73 むすび題(複数の概念を結合した題)は上の二字を字音、下の二字を和訓で読むものであるが、すべて字音で読まねば通らぬ題もあり、またすべてを訓に読むものもある。「秋暮残菊」は、通例とは逆に上二字を和訓、下に字を字音で読む。

  むすび題の読み方につき解説する正徹どこか偉さうにして

『伊勢物語』二十三段 筒井筒である。「ゐなかわたらひしける」人の子どもがいた。幼い頃は、井戸のまわりに遊んだ。男はこの女を妻に、女はこの男を夫にと思って、親のいうことは聞かないでいた。その隣の男から歌が届いた。
・筒井つの井筒にかけしまるがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに

女の返歌
・くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき

ついに二人は結ばれた。何年か過ぎ、女の親が亡くなった。このまま貧しいままでは困ると男は思う。そのうち河内の高安の郡に通うところができた。

しかし女は、いやな顔もせず、こころよく男を送り出す。女に「こと心」があるのかと疑い。植え込みに隠れ、女を伺った。女は身じまいを正し、化粧もしてもの思いに沈んでいた。そうして歌った。
・風吹けば沖つしら波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ

女がそう詠んだのを聞いて、高安の女のもとにはいかなくなった。たまたま高安にきてみれば、なんだかひどいありさま。男が来ないので、高安の女が詠んだ。
・君があたり見つつををらむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも

そして、何度も「大和人」が来ると聞くたびに期待するのだが、とうとう男が来ることはなかった。
・君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋つつぞ経る

と高安の女が詠んでも、男が来ることはなかった。やっぱり昔からの女のやさしさがよかった。

2024年3月8日(金)

寒い。都心は雪だったらしが、このあたりは冷たい雨。やがて上がる。そして、また降る。

  カフェ・オ・レを飲めば少しく目が覚めて悪夢の夜も明けてゆくなり

  いくたびも夢にめざめてこころぼそしああ悪夢あり夢に逃げをり

  鈍色の夜明けが襲ふくるしくつらく夢にし悩む

『論語』公冶長二一 孔子が言った。(ねい)武士(ぶし)(衛の国の大夫)は、国に道あるときは智者、国に道のないときは愚かであった。智者ぶりはまねできるが、愚かぶりはまねできない。

  道あれば智者なりそして道なくば愚者にして甯武士ひよりみなりき

『正徹物語』72 薬師寺の元可入道(高師直配下の武士。二条派歌人)の歌に次の歌がある。
・五月雨の布留の中道しる人や河と見ながら猶わたるらん
・夕暮の色なる槇の嶋津鳥宇治の夜川とかがりさすなり
・同じくは我がかくれ家の山桜花も憂き世の風をのがれよ

いづれも『新後拾遺和歌集』に入集。

『伊勢物語』二十二段 むかし、はかなくて絶えにける仲の男と女がいた。別れてしまったが、忘れがたかったのか、女から、こういってきた。
・憂きながら人をばえしも忘れねばかつ恨みつつなほぞ恋しき

男の返歌、
・あひ見ては心ひとつをかはしまの水の流れて絶えじとぞ思ふ

「その夜いにけり」。そして、
・秋の夜の千代を一夜のなずらへて八千代し寝ばや飽く時のあらむ

女の返歌、
・秋の夜の千代を一夜になせりともことば残りて鶏や鳴きけむ

「いにしへよりもあはれにてなむ通ひける。」なんだかいい話のようだが。