2024年2月29日(木)

まあまあ晴れている。昨夜はほとんど眠れなかった。べレキシブル錠の副作用で腿に痒みがあった。たった二錠飲んだだけだが、前回の四錠並みの痒さだ。起きても、そう変わらない。

昨日、鶴見俊輔『ドグラ・マグラの世界 夢野久作 迷宮の世界』(講談社文芸文庫)を読む。以前、読んだはずだが、初読のような感じである。鶴見俊輔が、かくも夢野久作ファンとは、あらためて驚く。晩年の歌を二首。一首目は辞世らしい。
・われ死なば片見に残すものもなし白雲悠々山河遼々
・うみやまにたとへ此身は果つるとも草鞋のあとを世にや残さん
夢野久作らしい感じはある。

  皿、碗を洗浄籠から取り出して食器棚それぞれに(おさむ)る朝け

  皿の音かちゃかちゃ聴こゆまだ眠る妻を起こさずやそれのみ怖る

  まだ青き空には雲が薄く掃く今日の天気のやがて雨なり

『論語』公冶長一二 子貢がいう「私は、人が自分にしかけるのを好まない。だから私の方でも人にしかけないようにしたい。」そうすると孔子が「子貢よ、お前にできることではない。」

  なかなかに手厳しき孔子「(し)や、(なんじ)の及ぶ所に非ず

『正徹物語』64 「しかなかりそ」とは、「さなかりそ(そんなに刈るな)」の意である。「鹿な借りそ」と誤解する者がいたのか。とは注の言。

  「しかなかりそ」はそんなに刈るな草すべてを刈るな人麻呂の長歌

『伊勢物語』十四段 昔男、陸奥にたどりついた。京の男が珍しかったのか、女が恋心いだいた。
・なかなかに恋に死なずは桑子にぞなるべかりける玉の緒ばかり

あかぬけない歌だが、それこそあわれに思い、女のもとへゆき寝た。けれど夜中のうちに男は帰ってしまった。だから女はまた詠んだ。
・夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる

すると男は京に帰ると言って、
・栗原のあねはの松の人ならば都のつとにいざと言はましを
女は、私のことを思っていてくれると喜んでいたそうだ。

2024年2月28日(水)

朝から天気よし。しかし昨日ほどではないが風あり。

  人生の晩年をいかに生くべきか悩みあり薬の副作用に悩み

  下半身に赤い発疹、微熱あり倦怠はかく言ふまでもあらず

  いまだこぬ飛燕をおもひ翻るそのすがた恋ふ春の鳥なり

『論語』公冶長十一 孔子が言った。「吾れいまだ剛者を見ず。」或る人が答えた。「申棖(孔子の門人。魯の人)ではありませんか。」孔子が答えた。「申棖には欲がある。どうして剛といえようか。」

  申棖(しんとう)を知らねど欲を捨てがたき人ならむ魯の人といふなり

『正徹物語』63 「なげの情け」は、ちょっとした情けである。「いざ今日は春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花のかげかは」(古今集・95・素性)の「暮れなばなげの花のかげかは」の「なげ」は「無げ」である。「暮れたればとて、なかるべき花か」といった意である。
なかなか細かいが、この時期『古今集』の歌が分かりにくくなっていたようだ。

『伊勢物語』十三段 昔男、京にいる女のもとへ、「聞こゆれば恥づかし。聞えねば苦し」と書いて、上書きに「武蔵鐙」と書いた。その後、男からの音信は絶えた。女は、
・武蔵鐙さすがにかけて頼むには問はぬもつらし問ふもうるさし

男は返信をみて、「たへがたき心地しける。」そこで次の歌をつくった。
・問へば言ふ問はねば恨む武蔵鐙かかるをりにや人は死ぬらむ

2024年2月27日(火)

いい感じに朝が明けてくる。橙色に群青色の空が浸潤されてゆく。そして日の出だが冷えているし、北風も強い。

一巻の絵巻のごとき人生を夢に観ずるに現実(うつつ)違へど

  神棚の榊に粒実ひそかなり春の精霊ただよふごとし

  たましひに紙やすり掛けて削るごと違和感ありきけさの体調

『論語』公冶長一〇 宰予、昼寝ぬ。孔子が言う。「くさった木には彫刻できない。ごみ土の垣根には上塗りできない。叱ってもしかたがない。」孔子がまた言った。「前に私は人に対するに、ことばを聞いてそれで行いまで信用した。今はことばを聞いて、さらに行いまで観察する。宰予のことで、こう改めたのだ。」

  だらしなき宰予のさまにことばのみか行ひを観る判断のために

『正徹物語』62 「夕づくよ小倉の山に鳴く鹿のこゑのうちにや秋はくるらむ(古今312貫之)」は昔から疑問とする歌だ。詞書(なが月のつごもりの日大堰にてよめる)から九月尽の歌であることがわかる。「夕づく夜」は四日、五日の頃。どうしてか。万葉集に色々ある。「夕月夜」は夕から月の出る頃をいう。また「夕付夜」は、月ではなく、ただ夕方から次第に暗くなり夜になる時間帯を「ゆふづくよ」という。古今集の歌もこれで、「夕付夜小倉の山」と詠んだのである。

  ひらがなに「ゆふづくよ」とあれば分かり難し「夕付夜」なり貫之の歌

『伊勢物語』十二段 昔男、人の娘を盗んで、武蔵野へつれてきて国の守につかまった。草むらに女を隠し逃げた。女は焼かれそうになって、こんな歌を詠んだ。
・武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
女も男もつかまった。

2024年2月26日(月)

二・二六事件から88年。いまも暴力の時代かもしれない。

朝晴れ。久しぶり。昨日まで雨だった。

  我が町に雨ふるときは遠き山の丹沢山塊雪になるらむ

  十六夜残りの月の山の上に明るきときは「後朝」思ふ

  「後朝(きぬぎぬ)」といふ美しき語をおもふ老いには恋も遠き思い出

『論語』公冶長九 孔子が、子貢に言った。「おまえと顔回では、どちらがすぐれているか」。子貢が答える。「顔回は、一を聞きて十を知る。私は二を知るだけだ。」孔子が言った。「及ばないね。わたしもお前といっしょで及ばない。」孔子にはユーモアもあるようだ。

  子貢に聞く汝と回といづれかまさるわれは到底回の下なり

『正徹物語』61 万時(万葉集時代考)という定家(本当は俊成)が考証した本がある。貴重だ。為秀自筆本を了俊がくれた。「人のほしがられし程に出だし侍りき。」淡々とした内容である。

  そつそつたる内容なればか簡単に了俊が(あ)にくれしものなり

『伊勢物語』十一段 昔男が、東国に旅立った。友たちへ便りをよこした。
・忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで

2024年2月25日(日)

今日も朝から雨、そして寒い。

尾崎翠『第七官界彷徨』(河出文庫)を読む。おもしろいと言えば、おもしろい。奇妙と言えば奇妙、そして奇抜な小説だ。こんなものが昭和初期に発表されていたことを考えるとこの時代のモダニズムの再考が問われるし、ないよりこの小説の凄さを感じざるを得ない。小野一助、小野二助、佐田三五郎、そして小野小町が、同じ家に暮す話だが、苔の恋や精神医学語の氾濫などそれぞれに奇抜なのだ。果ては、さて第七官とはいったい何だろうと思うのだが、話の展開は奇妙奇天列、おもしろい。

  小野一助、二助、三五郎そして小町の奇妙なる生活

  尾崎翠が昭和の初期に描く小説奇妙なれども凄きぞこれは

  いつのまにか皺しわになる手の甲をつくづくと観る老班なども

  手の甲の老班の数増えてゐるかくも老いたるわれにやあらむ

『論語』公冶長八 孟武伯が聞いた、「子路は仁なりや」孔子は言った。「知らざるなり。」そこで、また問うた。すると孔子は「子路は、諸侯の国で軍用の調達のきりもりさせることはできるが、仁であるかどうかはわからない。求はどうでしょう。孔子の言、「千戸の町や大家老の家ではその長官にならせることはできるが、仁かどうかはわからない。」では、赤はどうか。孔子が言う。「赤や、束帯して朝に立ち」、客人と応対することはできるが、仁についてはわからない。

  仁は、弟子たちのにも難しい。

孟武伯が仁問ふに孔子答ふ由も求も赤も仁たるや如何

  『正徹物語』60 今川了俊が言ったことだが、連歌の稽古をしていて、満足のゆく連歌がしたいと、句数をすくなくしていた。それを聞いた二条良基は、了俊の質問状に句数を減らすことは、あってはならぬこと。初心のうちは軽やかに多くの句を詠めば、自ずと上手になると叱った。私にも、良き歌よまんとすることに、手紙を書いて折檻された。了俊はいつでも良基の仰せを口にしては、「これがいかめしき御恩なり」と申された。

  二条良基に叱られし了俊いつまでも「いかめしき御恩」と仰せられしを

『伊勢物語』十段 業平は、武蔵国まで「まどひありきけり」。そこでまた、凝りもせず女をつくった。父親は決して賛成ではなかったが、母親は、藤原の出で、業平にめあわせようとした。入間郡、みよし野の里であるので、母親はこう詠んだ。
・みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞ寄ると鳴くなる

すると、男の返し、
・わが方に寄ると鳴くなるみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ
京に遠くここまできてもなお、男の数寄ぶりはやむことがない。

2024年2月24日(土)

久々に晴れて気持ちのよい朝だが、寒い。10度くらいまで上がるそうだが、それにしても寒い。

  丹沢山塊うしろの山々白くしてこの二、三日雪降るらしき

  今日もまた朝から寒い日なれども太陽昇る心地よきなり

  今朝の生ゴミ少なきに事に驚くわれ否、否これは喜ぶべきなり

『論語』公冶長七 孔子の言だ。「道行なわれず」ならば「桴に乗りて海に浮かばん」
私についてくるのは、まあ子路だろう。子路は、これを聞いて喜んだ。そしてオチがある。子路よ、勇ましきことを好むはわたし以上だが、さて桴の材料はどこにもない。

珍しく躍動的な章段である。

  (いかだ)、海に浮かべていづこへ流れゆく孔子とともに子路もゆくなり

『正徹物語』59 俊成、定家への住吉明神の託宣。俊成は、十七日参籠、「和歌仏道全二無」と言われた。定家は参籠して七日夜明神うつつに現じて「汝月明らかなり」と示された。だから、この奇蹟などを書き載せた書物を『明月記』と称する。

  俊成も定家も住吉明神に参籠したり託宣を得る

『伊勢物語』九段 有名な東下りの段であり、高校の古典の授業で扱われているはずだ。「身を要なきもの」と思いなして東の国へ旅立った。
・からころも着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
各句冒頭の字を読むと「かきつばた」になる。

駿河の宇津谷峠、
・駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

富士山を見て、
・時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ

隅田川で都鳥に合いて、
・名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしや
この段は、東海道を下って、歌も多いし、業平の心の愁いがよくわかる。

2024年2月23日(金)

冷たい雨が降っている。寒い日である。

昨日、恩田陸『灰の劇場』を読み終える。1994年4月29日に飛び降り自殺した二人の女性の記事に反応する作者。小説は、作者(必ずしも作者本人ではないが、作者にもっとも近い存在)と自殺した二人の視点から語られ、複雑な様相を呈するが、なかなか読み解きがたく、面白く読んだ。

  不可思議はこの小説に死ににける二人と作者のつながりあらず

  鳥の羽根の頻りにふりくる舞台には誰も彼も見えず死ぬ二人なり

  白ならぬ汚れて灰色の羽根ふり(く)天からふり(く)死にし二人に

『論語』公冶長六 孔子が、漆雕(うしつちょう)(かい)(孔子の門人)を仕官させようとした。ところがわたしはまだ自信が持てないと言った。孔子はそれをよろこんだのだという。ここも謙虚であることが大切だということか。

  漆雕(しっつちょう)(かい)のごとくに謙虚であることを孔子はよろこぶ慎重さゆゑか

『正徹物語』58 「本歌をとるに、二首取りたる歌いくらもおほきなり。」この時代のことだろう。もちろん現在も本歌取りの技法は生きている。

  本歌に二首をとりこむ歌多しいくらもあると正徹言ひき  

『伊勢物語』八段 京に住み憂かりけむ(高貴な女性と愛をかわしたが、結局失恋したこと)、あづまの方に住む所求むとて」、友とする二人と旅をした。途中、信濃の浅間山に煙りが立つのを見た。
・信濃なる浅間の嶽に立つ煙をちこち人は見やはとがめむ

「をちこち」は「あちこち」 あちらこちらの人がみな、なんとも不思議な光景と思わずにいられようか。