2024年1月18日(木)

朝から晴天である。今日は温度もそこそこ暖まるらしい。とはいえ寒い。

  冬晴れの日の清らかさ風吹けばあつけらかんと天に雲なし

能登半島地震

  海やまのあひだに暮すこの国の常凡の人らを災害襲ふ

  室内に直さす日ざし冬なれば傾きて長くわが足にとどく

『論語』八佾二十二 管仲(斉の桓公の名宰相。孔子より百七、八十年前の人物)は「器は小。倹約もしていない。礼もわきまえてはいない。「管氏にして礼を知らば、(たれ)か礼を知らざらん。」いい評価とは思えない。

  管仲の器小なり礼を知らず君主のごときふるまひ暮らす

『正徹物語』22 初心者は、それほど深く考え込まず、さらりと気楽に詠むのがよい。さらに初心の段階では本歌取りにも慎重であるべきだ。たしかに本歌取りは難しいし、本歌にとらわれてしまう。

  初心のほどは颯々と詠むべきなり本歌を取ることにも慎重であれ

2024年1月17日(水)

今日は、昨日より暖かくなるらしい、が寒いぞ。

  己が身の軽佻浮薄かるがるとこの世からあの世へ(こみち)のあらむ

  このままに暗きに墜つる妄想に游ぶがごとし宙吊りのわれ

  崖の果てに墜つるがごとき捨身往生われには無理か断崖に佇つ

『論語』八佾二十一 哀公が、社稷を宰我に尋ねた。夏の君は松、殷の人は栢、周の人は栗を使っている。つまり死刑によって民を戦慄させることである。孔子先生はそれを聞いて「成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎めず」と言ってこれからはこんな失言を繰り返さぬように。

  宰我のことば過ぎたるは咎めずして孔子は二度と失策を許さぬ

『正徹物語』21 「祈る恋」という題で「ゆふしでも我になびかぬ露ぞちるたがねぎごとの末の秋かぜ」と詠んだ。下の句に複雑な働きがあって理解しにくいだろう。さてはあの人は逢うまいと祈っているのであろうという気持ちを表現したもので、定家の家集を開いてみなさい、平板な歌はまったくない。それを倣った。
贈従三位為子に「数ならぬ御禊は神もうけずとやつれなき人の先づ祈りけん」という歌がある。こちらはよく分かるだろう。

  定家の集にある難しさを真似せんか正徹のすすむべき道歩むなり

2024年1月16日(火)

良い天気だが、今日は寒いそうだ。困ったもんだ。

  憂鬱なりこの国の未来を想ふときジンタ、ジンタッタ楽団がゆく

片山杜秀『歴史は予言する』(新潮新書)を読みはじめた。

世の中にはもの知り人があまたゐるたとへば片山杜秀の如

おつかなびつくりくらやみをゆくおいほれのゆくすゑとへば便所(トイレ)とこたふ

『論語』八佾二〇 孔子が言う。「関雎(かんしょ)は楽しみて淫せず、哀しみて傷らず」だね。
関雎は、『詩経』周南の最初の篇名。『詩経』は、孔子が選したともいい、孔子の愛するものである。

  『詩経』の関雎は楽しみて淫するなく哀しむときも(やぶ)ることなし

『正徹物語』20 いわば正徹の自讃。
・森の葉も秋にやあはん鳴く蟬の梢の露の身をかへぬとて
「晩夏の蟬」の題にこの歌をつくった。この歌も前段と同じく句を残す歌である。ここでは、「身をかへぬとて幾程かあらん、たのむぞはかなき」という一句を残す。その上で「森の葉も」の「も」が重要である。だから「かへぬとて」になるのだ。

  森の葉も秋にしなれば身をかへぬ幾程あらむたのむぞはかなき

2024年1月15日(月)

朝の太陽のひかりは美しかった。しかし冷えている。寒い。

ペットボトルから茶碗にお茶を移しをり冬の夜中のあやしきその音

  湿りもつ音が真夜中にしたたるは茶碗の内なり深く響けり

  朝に晩に薬を含むを忘れずに日々生きてゐるどことなく疚し

『論語』八佾一九 定公(魯の君主。孔子はこの君主に重く用いられた)が「君、臣を使い、臣、君に事ふること、これを如何」と問うたところ孔子が答えた。「君、臣を事ふに礼を以てし、臣、君に事ふるに忠を以てす。」やっぱり礼が大切なんだねぇ。はじめて臣の側からの忠が出てくる。

  魯の国の定公と対話する孔子先生楽しからずや生き生きとして

『正徹物語』19 業平の歌「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」についてである。この歌は「こよひ逢ひたる人こそなけれ」の一句を残して詠んだ。だから面白い。寂蓮の「恨みわびまたじいまはの身なれども思ひなれにし夕暮れの空」は、「夕暮れの空をばさていかにせん」と言って、「さていかにせん」の一句を残したのだ。正徹、本領発揮ですね。

  己が身はかはらざれども一年前逢にしひとの今いかにせん

2024年1月14日(日)

今日も朝は寒い。日中は暖かく日は差すが空気は冷たい。

  横断歩道ゆつくり越へてすぐ近くのスーパーへ行く冒険のごとく

  二車線の片側あゆむ老人に警笛鳴らし追越す自動車

  冬の日の遅れがちなる足弱も買物に出かける心ぶぎうぎ

『論語』八佾一八 孔子が言った、「君に事ふるに礼を尽くせば、人以て諂へりと為す。」
孔子ともあろうものが、そんなもの放っておけばよいのに。こうした人に気を遣うのも孔子だということだろうか。

  君に礼を尽くせばそれを諂ひと後ろ指さす人また居りき

『正徹物語』18 「暮山ノ雪」の題は、このところの作歌では「これぞ詠み侍る」一首である。
・渡りかね雲も夕べをなほたどる跡なき雪の峯の梯
正徹の自讃である。この歌、行雲廻雪の体であり、「なにとなくおもしろくえんなる物なり。」そして「いひのこしたるやうな歌はよきなり」だそうだ。なかなか得意げである。

渡りかね夕べにたどる雲の色架け橋立ててゆくべきところ

2024年1月13日(土)

よく晴れている。このところ冬の麦茶を薬缶に沸かしている。

  茶碗にはほのぼの湯気の立ちのぼる冬の麦茶の芳しきもの

  冬の麦茶かんばしくして沸かしたり薬缶が踊る、叫ぶミネラル

  麦茶喫ししばしを過ごすなにげなさこの無為こそが至福のときなり

『王朝秀歌選』(岩波文庫)をざっと読む。藤原公任選「前十五番歌合」、「後十五番歌合」、「三十六人撰」、藤原俊成「俊成三十六人歌合」、隠岐に流された後鳥羽院の意思を汲んで藤原定家の撰になる「八代集秀逸」、後鳥羽院撰「時代不動歌合」、定家撰「百人秀歌」、「百人一首」が入っている。歌は重なりつつもなかなか興味深い。万葉時代の歌がよいと思うのは偏見であろうか。
『論語』八佾一七 子貢が告朔の礼にその生贄の羊を辞めようとした。そこで孔子は言った。私はその礼が惜しい。羊の生贄だけでも続ければまた礼の復活もあるだろう。子貢よ汝は羊を惜しむ我は而してその礼を惜しむ。」さすが孔子先生だ。

  生贄の羊を惜しむ子貢に向き孔子は礼を惜しむと言へり

『正徹物語』17 或所の歌会に為尹(ためまさ)が「契絶恋」という題に、次のような歌を出した。

かけてうき磯松がねのあだ浪はわが身にかへる袖のうらかぜ

出席者は負と判じたが、正徹のみ「『かけてうき』といえるこそ契りたるにて、『わが身にかへる』が作者の骨を折ったところだ。」「これをだに心えざらんは沙汰の限りにあらず」と言って難じた。それを聞いて了俊(為尹の後見、正徹の師)が「ありありて、落涙」「げにさにて侍り」と勝になった。その後、為尹にももてなされた。「臍にとほりてさかひにいたらざる人は、人の歌をみる事もかたきなり。」なるほど、ですね。

  臍にとほりていたらざる人ほか人の歌読むことも叶はざりけり

2024年1月12日(金)

やはり朝は冷えている。日中は、昨日よりは暖かく。

  この夜をば夢にさめざめ冷たき雨すがた濡れたり馬上のわれは

  馬上にて鞍馬天狗の姿(なり)をして京の寺町駆けぬけてゆく

  鐘の音間近に聞こゆ鞭ふれど馬は(なみ)(あし)耳傾ける

『論語』八佾一六 孔子が言った。弓の礼では的を第一とはしない。能力に違いがあるからで、それが「古への道なり。」

  古への道とは申す射は皮を主とせずそれぞれに学ぶがよろし

『正徹物語』16 山名大蔵大輔之朝の宿所で、月輪基賢卿と会合して、「後朝の恋」の題で、次のように詠んだとか。

契れけさ逢ふもおもひのほかなればまた行末も命ならずや

  後朝(きぬぎぬ)の別れゆくとも思ひ残るかく行末もいのちならずや