2025年1月19日(日)

一昨日、昨日で熱海に一泊。妻と二人、楽しかった。

ここのところずっと雨が降っていない。今日も晴れている。

  ぽつりぽつり町に火の出る燃えさかる八百八町江戸は火の海

  江戸時代付け火恐るる火が出れば軒をつたひて町燃えさかる

  木造の家屋ばかりの江戸の町冬は火の怖れの殊更なりき

『論語』憲問四一 孔子、(けい)(「へ」の字型に曲がった石の打楽器)を(えい)に撃つ。(あじか)(もっこ)を荷なひて孔氏の門を過ぐる者あり。曰く、「心あるかな、磐を撃つこと。」既にして曰く、「(いやし)きかな、硜硜乎(こうこうこ)たりや。己れを知ること(な)くんば、(こ)(や)まんのみ。深ければ(れい)し、浅ければ(けい)す。」孔子曰く、「果なるかな。難きこと(な)きなり。」

  磐を打つにむつかしきことを考へずただ思いきり楽しめばよし

『古事記歌謡』蓮田善明訳三二 ヤマトタケルノ命
命の 全けむ人は       生きて帰らん供人は
畳菰 平群の山の       平群の山の白檮の葉を
熊白檮が葉を         永久に生きんしるしとて
その子           髪にかざして暮らせかし

この歌は「国偲び歌」というのである。

  畳菰平群の山の熊白檮の葉を髻華に挿せすこやかに生きむ

2025年1月18日(土)

朝方雲が多かったが、やがて晴れ。

  短夜に小鍋に寒の米を入れ野菜すこしに粥を煮てをり

  粥を煮る匂ひかぎつけ猫どもが集まりてくるここは猫町

  丘に立つ搭のてつぺん夜になれば猫の会議のはじまらむとす

『論語』憲問四〇 子路、石門に宿る。晨門(門番)の曰く、「奚れよりぞ。」子路が曰く、孔氏よりす。曰く、是れ其の不可なることを知りて而もこれを為す者か。
石門は魯の町の外門で、郊外に出た子路が晩くなって帰れなくなったのである。

  魯の国の石門を出る子路のこと帰れなくなるを分かりて出でし

『古事記歌謡』三一 ヤマトタケルノ命
倭は 国のまほろば        大和は夢に包まれて
たたなづく 青垣山        重なりつづく山脈の
隠れる              青き垣なすその中に
倭し (うるは)し                                 隠る大和のうるわし

  わが大和は青垣つつみ美はしきしかれどここに血の戦さあり

2025年1月17日(金)

まあまあ晴れている。

  龍の口からにじり出てくる(くちなは)に威勢よき声ことしはかかる

  蛇を出して龍の叫びはよろこびなり不思議不可思議年変るべし

  天に昇り去りゆく龍の航跡を目に追ふのみのくちなはの目

『論語』憲問三九 孔子曰く、「賢者は世を避く。其の次は地を避く。其の次は色を避く。其の次は言を避く。(すぐれた人は、世の乱れたときには世を避ける。その次は土地を避ける。その次は主君の冷たい顔色を見て避ける。その次は主君の悪いことばを聞いて避ける。)孔子曰く、「作す者七人。」

  世の中に七人をりき世を避け土地を避け色を避け悪口を避け言を避けたる

『古事記歌謡』蓮田善明訳 三〇 ヤマトタケルノ命
尾張に (ただ)に向へる         尾張の国に真向いの
尾津の埼なる            尾津の埼なる一つ松
一つ松 (あ)(せ)を            あゝその松が人ならば
一つ松 人にありせば        太刀もやりたい一つ松
太刀佩けましを (きぬ)着せましを    衣も着せたい一つ松
一つ松 吾兄を

  尾張の尾津の埼の一つ松ああこの松が人ならば太刀もやりたい衣も着せたい

2025年1月16日(木)

寒いのだが、ほぼ晴れ。

  ビン・缶を棄てにゆくにはまだ闇くひそみ咲きたる山茶花の白

  暁闇のしづけさにひそむわれの息おのづから白く顔にまつはる

  山茶花の白き花赤き花に誘はれこの道ゆかば黄泉の坂かも

『論語』憲問三八 公伯寮、子路を季孫に(うつた)ふ。子服景伯(魯の大夫)以て(もう)して曰く、夫子(もと)より公伯寮に惑へる志し有り。吾が力猶ほ能く(こ)れを市朝に(さら)さむ。孔子曰く、「道の将に行はれんとするや、命なり。公伯寮、其れ命を如何。」

  道が行なはれんも道が廃れゆくも運命なり公伯寮ごときに左右されず

『古事記歌謡』二九 ミヤズヒメ
高光る 日の御子       大空の日輪に似て
安見しし わが大君      かがやける 皇子(みこ) わが君よ
新玉の 年が(き)(ふ)れば     かの日より年も新たに
新玉の 月は(き)(へ)ゆく     かの日より月も新たに
(うべ)(うべ)な 君待ち(がた)に     往きてまた巡り来たれば
わが着せる (おすひ)の裾に     君待つも待ち難しとて
月立たなむよ         裾につくわが月のもの

こうしてミヤヅヒメを婚して、その佩刀の草薙剣を置いて、伊吹山の神を討伐に出かけた。

  ミヤヅヒメとの婚儀そのものが違ひたるかヤマトタケルの前途やいかに

2025年1月15日(水)

今日もよく晴れている。

ハン・ガンさんの『少年が来る』を今ごろ。

  光州事件を弔ふ霊のごときもの変はるがはるにこの世に嘆く

  光州事件の死者を忘れてはならないとハン・ガンは言ふ押しつけないで

  あれやこれや光州事件の波紋ありその影いつまでも忘れてはならぬ

『論語』憲問三七 孔子曰く、「我れを知ること莫きかな。」子貢曰句、「何為すれぞ其れ子を知ること莫からん。」孔子曰く、「天を怨みず、人を(とが)めず、下学して上達す。我れを知る者は其れ天か。」

  天を怨みず人を尤めず下学して上達する我れを知る者はああ天のみか

『古事記歌謡』二八 ヤマトタケルノ命
久方の 天の香山(かぐやま)      香山の峰をかぼそく
(と)(がま)に さ渡る(くび)      鳴き渡る鵠の足に
弱細(ひはぼそ) 手弱(たわや)(がひな)を       似て君が細き腕に
(ま)かむとは (あれ)はすれども  抱き取りてわれは寝ねんと
さ寝むとは 我は思へど   思ひ来て会えるこの夜に
(な)(け)せる (おすひ)の裾に    君が着る上着の裾に
月立ちにけり        あやにくも月経の着けるよ

  抱かむとし(おすひ)の裾を見るときにあやにくも月経(つき)の赤き血がつく

2025年1月14日(火)

少し暖かいようだが、晴れている。

有鹿神社

  初参りは土地の女神の古社『延喜式』に載る相模のやしろ

  里宮に中つ宮、そして奥宮の三社を備へし古き社ぞ

  大木のけやき数本が境内にそそり立ちたる古きやしろ

『論語』憲問三六 或るひとの曰く、「徳を以て怨みに報いば、如何。」孔子曰く、「何を以てか徳に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。」

  まっすぐな正しさで怨に報い恩徳をもって恩徳に返す

『古事記歌謡』二六 ヤマトタケルノ命
新治 筑波を過ぎて   新治・筑波の国を過ぎ
幾夜か寝つる      幾夜重ねし旅枕
二七 庭火を焚いていた老人が、歌を続け、
かがなべて       旅寝重ねてこの地まで
夜には九夜       夜に九夜
日には十日を      日には十日を

  甲斐の国酒折の宮に至りつく筑波を越えて十日を経たる

2025年1月13日(月)

晴れて、寒いのだ。

  やうやくにあけぼの杉の簡浄に冬の木となる枝の葉落とし

  冬の木は枝のみ残すあけぼの杉朝の日透し明るみてくる

  あいかはらず石榴のひと木は不自然なくねるやうな幹日にさらしをり

『論語』憲問三五 孔子曰く、「驥は其の力を称せず、其の徳を称す。」
名馬はその力でなく、その性質のよさを褒められるものだ。

  馬をすら孔子はまなこ光らせる力ではなく徳をほめたり

『古事記歌謡』二五 オトタチバナヒメノ命
さねさし 相模の小野に      相模の小野の火の中に
燃ゆる火の 火中に立ちて     命危うい時にさえ わたしのことを忘れずに
問ひし君はも           たずね給うたわが皇子(みこ)

  走水の海に入りしやオトタチバナヒメその心芳し皇子にとりて