2025年3月20日(木) 春分の日

一九九五年地下鉄サリン事件から、この日で三十年になる。あの日、私も都心に出て別の地下路線に乗ったので、危険は他人事ではない。

夕べ寒かったようで。大山・丹沢連山は斑に雪が被っている。

  大山や丹沢連山の谷筋に雪残りをり夕べ雪降る

  昨夜までひとしほ寒きに大山も丹沢連山も雪降るらしき

  見上ぐれば谷筋白く斑なり大山、丹沢昨夜雪降る

『論語』季氏一三 陳亢、「伯魚(孔子の子)に問ふて曰く、子も亦た異聞ありや。」対へて曰く、未だし。嘗て独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。」曰く、「詩を学びたりや。」対へて曰く、未だし。詩を学ばずんば、以て言ふこと無し。」鯉退きて詩を学ぶ。他日又独り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、「礼を学びたりや。」対へて曰く、「未だし。」「礼を学ばずんば、以て立つこと無し。」鯉退きて礼を学ぶ。「斯の二者を聞けり。」陳亢退きて喜びて曰く、「一を問ひて三を得たり。詩を聞き、礼を聞き、又君子の其の子を遠ざくるを聞く。」

  孔子父子のおこなひ分かる章段なり特別扱ひはついぞなかりし

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九三 オホハツセワカタケルノ命

またある時、天皇は、旅行に美和川に行くと、その折り、川のところで衣を洗っている少女がある。たいそう美しい少女で、「そなたはだれの子か」と尋ねると、「わたしの名は、引田部のアカキコと申します」と言った。そこで、「そなたは、嫁がないでいなさい。京に帰ったらすぐに召すことにするから」アカキコは天皇のお召しを待って、八十年を経た。(略)多くの献上物を整えて参内して奉った。しかし天皇は、先に言ったことを、とっくに忘れて、「そなたは何という老女かの。また、何の用事で参内したのだね」と尋ねるのであった。

「これこれの年の、これこれの月に陛下の仰せをこうむりましてから、今日までお召しを待っておりましたが、はや八十年もたって、もう今では、顔かたちも全くの老いぼれ、お召しをいただく望みも絶えはてたとは存じましたけれども、わたくしの、お待ちしていた心だけでもお知らせしたいと存じ、参内しました。」と申し上げた。天皇は、非常に驚き、「わしは、全くその時のことを忘れていた。しかるに、そなたは、操を守って、わしの言葉を待って、むなしく女の盛りを過ごしてしまったのは、まことに気の毒なことであった」と仰せられて、心に婚したくお思いはなったが、非常な老年であるのをおはばかりになって、お婚しにはならずに、歌を賜わった。
御室(みもろ)の 厳白檮(いつかし)がもと          御室の社の神木の
白檮がもと 忌々(ゆゆ)しきかも        白檮は畏み守るもの
白檮原嬢子(をとめ)               破ってはならぬ約束を 忘れてしまって気の毒な

  御室の厳白檮がもと白檮がもと忌々しきものよ約束破り

2025年3月19日(水)

昨夜からの雨が、今も降っている。雨、時々曇り、やがて雨は上がるらしい。

  枝ごとに毛羽(けば)毛羽(けば)の蕾を太らせてことしの木蘭花あまた咲かむ

  木蓮の蕾を見ては春の香の近かりしこと妻と語らふ

  ことしこそ夏つばきをも可憐なる花を咲かせよわれら祈る

『論語』季氏一二 斉の景公、馬千駟あり。死するの日、民徳として称すること無し。

伯夷・叔斉、首陽の下に餓ふ。民今に到るまでこれを称す。其れ斯れをこれ謂ふか。」

斉の景公は四頭だての馬車千台をを持っていたが、死んだときには、だれもおかげを受けたとほめなかった。伯夷と叔斉とは首陽山のふもとで餓死したが、今でもほめている。

『詩経(小雅・我行其野篇』には「まこと富にはよらず、ただ異なるものによる。」こういうことを言うのだな、と孔子のことば。

  死するときに民にもほめられずそんなものにはなってはならぬ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九二 オホハツセワカタケノ命

初め皇后が、まだ河内の日下にいた時、天皇は、日下への近道を通って河内に行った。(略)ここにワカクサカベノ王は、「日に背を向けて、わざわざこの河内の国へおいでになられたのは、まことに恐れ多いことです。わたくしみずから、直々に参り、お仕え申し上げます。」と奏した。そこで皇居に帰る時、また先の坂の上に立って、歌う、
日下部(くさかべ)の 此方(こち)の山と       日下の山と平群山
畳薦(たたみこも) 平群(へぐり)の山の         その山峡に立ち茂る
此方(こち)此方(ごち)の 山の(かひ)に       葉広の白檮の下手には
立ち(ざか)ゆる 葉広熊白檮(はびろくまかし)      くみ合い竹が生い立って
(もと)には いくみ竹(お)ひ       上手もしかと茂り竹
末方(すゑへ)には たしみ竹生ひ      この竹の様にこのたびは
いくみ竹 いくみは寝ず      手くみかわして寝ることも
たしみ竹 確かに(ゐ)(ね)ず      しかとはせずに帰るとも
後もくみ寝む その思ひ妻     後にはしかと恋い妻を
あはれ              抱き寝ることもできるだろう

  恋ひ妻とあひ寝ることのかなはねどやがては抱きて寝るもかなふか

そして、この歌を持たせて、使を返した。

2025年3月18日(火)

一応晴れているが、寒いし、午後雨になるらしい。

いしだあゆみさんが亡くなった。七十六歳だったらしい。むかし中学受験で見事麻布は、当然ながら落ちたのだが、これはたぶんそうなるだろうと思っていたので、悔しくもなかった。ただ二次募集の駒場東邦を再受験、手ごたえははあったが、やはり落ちた。合格発表を見にいった、その帰り、井の頭線に乗った。ドアのところに暗くなった街を宛てもなく見ていると、どこからかブルーライトヨコハマがのメロディが聴こえてきた。いや、そうではなくわが内なる音かもしれない。心のうちに口ずさんでいたのかもしれない。当時流行っていたのだ。その曲思い浮かべていると、なぜか急に悔しく、そして空しくて目頭が熱くなった。といういまになっても忘れることのできない強烈な思い出がある。

  いしだあゆみ死したりと聞く懐かしきブルーライトヨコハマ滅ぶことなし

  小船のやうに揺れて揺られて横浜をさまよひしことかつてありにき

  井の頭線下り電車の窓際にブルーライトヨコハマに涙したりき

『論語』季氏一一 孔子曰く、「善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。吾其の人を見る、吾其の語を聞く。隠居して以て其の志しを求め、義を行なひて以て其の道を達す。吾其の語を聞く、未だ其の人を見ず。」

  孔子曰く善、不善する人の姿それに達する人いまだ見ず

『古事記歌謡』 九一 キナシノカルノ太子
また、
隠国の 泊瀬の川の       泊瀬の川の上と下
(かみ)つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち      祈りの杭を打ち立てて
(しも)つ瀬に 真杙(まくひ)を打ち      上瀬の杭には玉をかけ 下瀬の杭には玉をかけ
斎杙には 鏡をかけ       われを祈りしその玉や 鏡がきらきら照るように
真杙には 真玉をかけ      かがやくばかり美しい
真玉なす あが(も)(いも)      わが恋い妻のあればこそ
鏡なす あが思ふ妻       家をも故郷(さと)をも慕うたが
ありと言はばこそに       こうして君といる上は
家にも行かめ 国をも偲ばめ   家も故郷もあるものか

こう歌って一緒に自殺を遂げたのであった。右の二首は「読歌」である。

  泊瀬の川の上と下祈りの杭を打ち立ててたった二人に死にゆくものを

2025年3月17日(月)

朝から晴れ、暖かくなるらしい。

  絨毯の上に対になるスリッパが間隔広くそっぽむきあふ

  奔放なるスリッパを覗き見るやうにゴミ箱の後ろにスリッパ一足

  二つとも皮をつかって洒落てゐるスリッパなれど天と地の差

『論語』季氏一〇 孔子曰く、「君子に九思あり。視るには明を思ひ、聴くには聡を思ひ、色には温を思ひ、(かたち)には恭を思ひ、言には忠を思ひ、事には敬を思ひ、疑はしきには問ひを思ひ、忿りには難を思ひ、得るを見ては義を思ふ。」

  君子には九つの思ふことがある視・聴・色・貌・言・事・疑・忿・得

『古事記歌謡』蓮田善明訳 九〇 キナシノカルノ太子
こうして追うてきた時、太子はそれを迎えて、懐かしさのあまり、
隠国の 泊瀬の山の         死ねば埋まる(は)(せ)山の
大峡(おほを)には 幡張り立て        大峡(おおお)に幡を張り立てて
小峡(をを)には 幡はり立て       小峡(こお)にも幡を張り立てて
大峡にし 汝が定める      その二つある墓所のうち 死ねば共にと大峡をば
思ひ妻あはれ          定め選んで死をきめて ここまで尋ねて来た妻よ
(つく)(ゆみ)の (こや)(こや)りも         はるばる荒い波越えて
梓弓 立てり立てりも        槻の木弓の伏すように 梓の弓の立つように
後取り見る             あまたの月日を起き伏して
思ひ妻あはれ            会いに尋ねて来た妻よ

  あまたの月日をともにした思ひ妻あはれここにともに死すべし

2025年3月16日(日)

雨だ。北からの風が強い。寒い雨だ。

テーブルの横に置いて、時間があれば開いていた『山村暮鳥詩集』(藤原定・大江満雄篇)一九六六年初版・一九九四年十一版、弥生書房・世界詩40だから、相当古い本だが、箱入りでしっかりしている。以前買ったものを、全編読んだのは今回がはじめてだ。暮鳥の詩というと「おおい雲よ」くらいしか知らなかったが、その短い詩のよさに驚いた。「また蜩のなく頃となつた/かな かな/かな かな/どこかに/いい国があるんだ」とか「まづしさを/よろこべ/よろこべ/冬のひなたの寒菊よ/ひとりぼつちの暮鳥よ、蠅よ」。どちらも「ある時」という題である。

  大空を鵄が回遊するときはマンションに居付く鳩も失せたり

  其処此処に糞を落してマンションの十階の屋上に住みつくらしき

  鳩を好くことば聞こえず憎む声あまた聞きつつ肯くわれなり

『論語』季氏九 孔子曰く、「生まれながらにしてこれを知る者は上なり。学びてこれを知る者は次なり。困みてこれを学ぶは又其の次なり。困みて学ばざる、民斯れを下と為す。」

つまり人間には生まれつき差別があるということか。昔のことではあるが、こんな差別が許されるのだろうか。こんなふうに読んできて、『論語』は、どうも信じがたい。

  孔子は生まれながらに差があると言ふべしされどそれが正しいか

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八九 ソトホシノ皇女
後にまた、恋しさに堪えかねて、太子のあとを追うて行かれる時、
君が行き (け)(なが)くなりぬ     太子が島に行ってから 長い月日がたちました
山たづの 迎へを行かむ     もうこの上はじっとして
待つには待たじ         帰りを待ってはいられない

この山たづというのは、今の(たつ)(げ)である。

  カルノ皇子が流されてから長くなりわれはもう帰りを待てず

2025年3月15日(土)

今日は、今十度、午後三時ころ雨になるらしい。昨日、一昨日と打って変わって寒い。

  口臭か、それとも口から出る息か、体温ありき。われのものなり

  マスクの内に息すれば口臭きわれならむ老人の息嗅ぎたくもなし

  千歩ほど歩けば息も上がりたり吐く息つく息かくもはげしき

『論語』季氏八 孔子曰く、「君子に三畏あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る。」

  君子には天命、大人、聖人の言、この三つをば畏れありけり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八八 ソトホシノ皇女(軽大郎女の別名)
ソトホシノ皇女も、太子に歌を奉って、
夏草の (あひ)(ね)の浜の      夏草青く茂ってた 浜辺に忍んで寝たことが
(かき)(がひ)に 足踏ますな      二人の仲を裂きました 石に隠れた蠣貝に
明かして通れ         足を切ったりせぬように 道はよく見て行きなさい

  夏草の青く茂れる相寝の浜思ひでとして足切らぬよう

2025年3月14日(金)

春のおもむき。晴れている。

  中庭の底を覗けば赤き花、椿の常緑の中にぽつぽつ

  あけぼの杉はまだ冬木なりどことなく枝も頼りなくして

  百日紅のひねくれた幹もさらされて春とは名ばかり冬の木ならむ

『論語』季氏七 孔子曰く、「君子に三戒あり。少き時は血気未だ定まらず、これを戒むることに色に在り。其の壮なるに及んでは血気方に剛なり、これを戒むること闘に在り。其の老いたるに及んでは血気既に衰ふ、これを戒むること得に在り。」 

  君子には三つの戒め。若きは女色壮年は争ひ老年は欲

『古事記歌謡』蓮田善明訳 八七 カルノ太子
また、
(おほきみ)を 島に(はふ)らば        王であるこのわれを 島に流さばこの船の
(ふな)(あま)り い帰り来むぞ       帰りの時にまた乗って 都に帰ってきて見せる
わが畳ゆめ           わが敷きなれた畳をば ゆめ汚したりせぬように
(こと)をこそ 畳と言はめ       口こそ畳と言うけれど
わが妻はゆめ           ゆめゆめ許さぬ わが妻も

この歌は「夷振(ひなぶり)の片下ろし」である。

  王を島に流せばわが妻も畳のごとくゆめ許さざる