2025年3月6日(木)

小さな雨が降っていたが、やがて曇りに。

  ひよどりが低きところを飛ぶ時は高き空には鳶回遊す

  声出さず足下低く移りゆくひよどり一羽なにを怖れし

  ひよどりは今日は低きを移りゆく珍しき春の朝明けにして

『論語』衞靈公四一 孔子曰く、辞は達するのみ。

ことばとは、意味を伝えるのが第一だ。辞は達することが第一なり

  言葉とは意味あるを伝ふそれが第一

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七八 イザホワケノ命(履中天皇)

大坂峠の登り口まで来た時に、一人の女がお会いになった。その女が言うには、

「刀や弓矢を持った人々が、大勢この山をふさいでいます。当岐痲(たぎま)道から廻って超えるのがよいでしょう。

そこで天皇は、また歌って、
大坂に 遇ふや嬢子(をとめ)を        大坂峠にさしかかり
道問へば (ただ)には(の)らず       会うたおとめの言う道は
当岐(たぎ)(ま)(ぢ)を告る           近道でない当岐麻道

  大坂峠より大和に入るには遠けれど当麻道がよい軍勢あらず

2025年3月5日(水)

雪だといっていたが、おおかた雨。そして寒い。

鳩は嫌いだ。

  偉さうに中庭のどこかに鳩のこゑいづこか見えねど憎き鳩来る

  いづこからかまたいづこにか鳩数羽偉さうに鳴くマンションどこかに

  鳩が鳴くいづくかに鳴く分からねどたしかに二羽の相寄り合ひて

『論語』衞靈公四〇 孔子曰く、「道同じからざれば、相ひ為に謀らず。」

「志す道が同じでなければ、たがいに相談しあわない。

まあ、そうだね。

  志す道おなじからざれば相ひ謀ること決してなからむ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七七 イザホノワケノ命(履中天皇)

波邇賦坂に着いて、難波の皇居を望むと、皇居の焼けている火が、まだ赤々と見えている。そこで、また歌をよんだ。
波邇賦(はにふ)坂 わが立ち見れば      波邇賦の坂にわれ立ちて
かぎろひの 燃ゆる家群(いへむら)       見れば盛りと燃え上がる
妻が家のあたり           妻が家あるそのあたり

  波邇賦坂に立ちてわが見れば燃え盛る妻が家あるあたりなるかも

2025年3月4日(火)

午前中は雲って寒い。午後は雪かもしれない。

  公園には梅の木八本に白き花蓬けたりけり八本すべて

  公園に梅を見上げるわれならむ老いぼれていつまでも白き花みる

  蓬けたる白梅の香に溺れたし放恣なり淫靡なり惑溺したり

『論語』衞靈公三九 孔子曰く、「教へて類まし。」

教育による違いはあるが、生まれつきの類別はない。だれでも教育によって立派になる。

そうだといいのだが。

  孔子先生いささか楽観的に思はるる生まれつきの類別おこなはれたり

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七六 イザホワケノ命(履中天皇)

天皇はもと難波の宮に坐したのであるが、大嘗祭の酒宴に、たいへん酔ったようで、前後も知らず熟睡していた。この時、弟スミノエノナカツ王が、天皇を弑し奉ろうとして、皇居に火をつけた。

倭漢(やまとのあやの)(あたえ)の祖先に当たる(あ)(ち)(のあたえ)は、ひそかに天皇を連れだし、馬に乗せて大和に非難した。丹比(たじひ)(ぬ)に至ってはじめて、天皇は目ざめ、「ここはどこじゃ」と言った。「スミノエノナカツ王が、皇居に火をつけたのでございます。それで今、わたしめが陛下を連れ出し、大和へ逃げて行く途中です」と言った。天皇はそこで詠んだ。その歌は、
丹比(たじひ)(ぬ)に 寝むと知りせば      丹比野に 寝ると思えば
防薦(たつごも)も 持ちて来ましもの      薦屏風 持ち来るものを
寝むと知りせば           野に伏して 風の強さよ

  阿知の直に救ひだされしイザホワケノ命目覚むれば歌をうたひたまひき

2025年3月3日(月)

朝から雨、寒くなるらしい。

ジャニス・ハレット(山田蘭訳)『アルパートの天使たち』、やっとこさ読了。ロンドンにおこるカルト集団の悲劇だが、18年前の設定になっていて、内容もいわゆる地の文がなく、メールやチャットを多用した、変わった構成で文庫全751頁、なかなか読みでがあった。しかも主人公だと思っていた女性が、最後に射殺されてしまうという驚愕の展開とその助手が事件の真相を解きながら、すべてを明かさないのだ。しかし、おもしろかった。

  このままに死の方へゆくわが肉體滅びかゆかむこのまま朽ちむ

  死といふものわからなければただ怖しいつのまにかに意識失ふ

  死を想ふ時多くなる病めばなほこのおとろへのなんとかならぬか

『論語』衞靈公三八 孔子曰く、「君に(つか)へては、其の事を敬し其の食を後にす。」

主君に仕えるには、何よりもその仕事を慎重にして、俸禄のことはあとまわしにする。」

  君に仕へてはそのことを敬し俸禄については後まわしにせよ

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七五 作者未詳

船の破損した後は、それで塩を焼いた。また焼け残った木片で琴を作ってみたところ、その琴の音が七里のも聞こえたという。それで歌に、
枯野(からぬ)を 塩に焼き         枯野をもって塩を焼き
(し)が余り 琴に作り        余りをもって琴作り
搔き弾くや 由良の門に      かき弾き鳴らせば由良の海峡(と)
門中(となか)(いく)(り)に 振れ立つ      海峡中(となか)の石に(ひたし)(ぎ)
(な)(づ)の木の さやさや       揺れ当る(ね)のさやけさよ

枯野もちて琴をつくれば由良の門の(な)(づ)の木さへもさやさやと鳴る

2025年3月2日(日)

朝方は寒かったものの、だんだん暖かくなる。

眉月の時があった。

  見えぬほどの眉月残るみんなみの空水の色ただ平らかに

  眉月といふ美しき日本語に思ひ到れり如月の朝

  ただ無心に空を仰げば朝空の高きにほ繊き眉月浮かぶ

『論語』衞靈公三七 孔子曰く、「君子は貞にして諒ならず。」

君子は正しいけれども、馬鹿正直ではない。

諒は信の意味。ここでは善悪を考えずにどこまでもおし通すこと。

  孔子が言ふ君子とは正しいけれども馬鹿正直にあらず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七四 タケノウチノ宿禰
こう語り申し上げて、琴を拝借して、さらに歌うのであった。
汝が御子や つひに知らむと    わが皇子の 御代を継ぐとて
雁は(こ)(む)むらし          その瑞祥(しるし) 雁の(こ)産むか

これは「寿歌(ほぎうた)の片歌」である。

  わが皇子の御代つがむとするその瑞祥(しるし)に雁は卵産む寿ぎの歌

2025年3月1日(土)

今日も、朝は寒いのだが、やがて春のような。

  雨降るを告知しつつ鳴くからす二羽連れゆきてさねさし曇天

  雨降るを告知せりけり黒雲よりぽつりぽつりと雫したたる

  わが頭上を雨来る知らせを告げてゆく二羽のからすの強き鳴声

『論語』衞靈公三六 孔子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず。」

仁徳を行うに当たっては、師にも遠慮はいらない。

そうだよなあ。

  先生曰く仁徳を行なふ時にはわたしにも遠慮はいらず行ふべしや

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七三 タケノウチノ宿禰
タケウチノ宿禰は、また歌をもって、

高光る 日の御子        皇子よ よくこそ問い給う
うべしこそ 問ひ給へ      まことによくこそきき給う
まこそに 問ひ給へ       わたしはまれな長生きで
我こそは 世の長人       いろいろ聞いてもおりますが
そらみつ日本の国に       日本の国で雁が卵を
雁卵産(かりこむ)と いまだ聞かず     産んだ話は聞きません

  われこそはまれなる長生きしかれども日本国に雁が卵を産むとは聞かず

2025年2月28日(金)

寒いが、やがて春のように。

  細月の薄きが残るみんなみの仄青き空無限のひろがり

  遅々として動かぬ朝の残り月みんなみの仄青き真中に

  しばらくは残りの月を追うたれど余りに遅き動きに堪へず

『論語』衞靈公三五 孔子曰く、「民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾れ踏みて死する者を見る。未だ仁を踏みて死する者を見ざるなり。」

人民にとって仁が必要なことは、水や火よりも甚だしい。それなのに水や火には、わたしはふみこんで死ぬ人もみるが、仁にふみこんで死んだ人はまだ見たことはない。

  水や火より甚だしきは仁徳なり水火に死ぬ人あれど仁には死せず

『古事記歌謡』蓮田善明訳 七二 仁徳天皇

天皇は宴会をしようとして、日女島に行幸した時、その島で雁が卵を産んでいた。

そこでタケノウチノ宿禰ノ命を召し、歌をもって、雁の卵を産んだ謂れを尋ねた。

たまきはる 内の(あ)(そ)      命も長き建内
汝こそは 世の長人(ながひと)       聞くや 日本に雁卵産と
そらみつ 日本(やまと)の国に      知るや 日本に雁卵産と

雁卵(かりこ)(む)むと聞くや

  日女島に行けば雁卵産さまを見るそのいわれタケノウチ宿禰に問ふや