7月12日(土)

涼しいです。

熊野純彦『源氏物語⁼反復と模倣』を読む。哲学者が読む源氏物語だが、きわめて読みやすい。哲学者ではあるけれど、源氏物語への理解は深い。詠み方も明快であり、「反復と模倣」という主題が、なるほどと思う。

  真緑の夏の態様の公孫樹その樹の下にやすらふ息する

  いのちの樹夏のいちやうの下陰にしばしやすらふ息つきにけり

  丘の上の公孫樹の繁りを見つつゆくその大木の根にむかひをり

『中庸』第十六章二 故に君子の道は、れを身にづけ、諸れを庶民に徴し、諸れを三王に考へてらず、諸れを天地に建ててらず、諸れを鬼神にして疑ひなく、百世以て聖人を俟ちて惑わず。諸れを鬼神に質して疑ひなきは、天を知るなり。百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知るなり。

是の故に君子は、動きて世々天下の道となり、行なひて世々天下の法と為り、言ひて世々天下の則と為る。これに遠ざかれば則ち望むあり、これに近づけば則ち厭はず。

詩に曰く、「に在りて悪まるることなく、此に在りてもはるることなし。くは、以て永く誉れを終へん」と。君子未だ此くの如くならずして、而も蚤く天下に誉ある者あらざるなり。

  かしこにありても憎まるるなくこちらにゐてもいやがられないこれ君子なり

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 伏見院

浦かぜは湊のあしに吹きしをり夕暮しろき波のうへの雨 (風雅集)

「浦」は海や湖の曲がって陸地に入りこんだところ。「湊」は港と同じ、川が海や湖へ流れこむところ。すなわち水門で、船が碇泊したりする。「吹きしをり」は吹き撓うこと、吹き撓んで痛みつける意である。そこでこの浦であるが、この場合は湖であるよりは、海であった方が歌の心にかないそうである。葦は川口へんの水ぎわにはいやというほど生い茂っている。歌意明瞭、といいうほどのこともないが、もう日の暮れ方である、さっきからあやしい雲行きだと思っていたらにわかにかき曇って暗くなってきた。海風がはげしく噴き出して湊の葦を乱している。すると降ってきた、大粒の雨がしのつくばかり降り出したのである。「浦かぜ」といい「吹きしをり」という上の句はむろんのこと、一音多くして「波のうへの雨」と止めた結句は効果的で、よくその情景をいい得ている。暗い夕暮れの海の波の上に。降りしぶき降りけぶる雨あしの白さが見えるようだ。まことにたくみで、上々の叙景歌である。(略)

やむまじき雨のけしきになるなら近き尾の上も雲に消えゆく (同)

これもまことにすぐれた歌だが、たとえばこの歌のように何の心だくみもなく、ごく平易なことばを用いて、目に見ゆる景を飾ることなく、そのまま歌いあげている。しかも雨をいとう心の欝をそれとなくいいふくめ、かつ雲にかくれてゆく山を美しいとながめている。が、その歌を詠む心の中はさびしそうである。歌でも作らねばやりきれないというような思いも汲みとれる。

7月11日(金)

今日は曇りだね。外は少しだけ涼しい。

  ぶきみなるくちなはは藪に隠れたり疚しきものかその後出でこず

  くちなはが草藪原に入りゆきて身をひそめたりその後知らず

  くちなはは藪のどこかに隠れゐて人を憎むか赤き舌だし

『中庸』第十六章一 子曰く、「愚にして自ら用ふることを好み、賤にして自ら専らにすることを好み、今の世に生れて古への道に反る。此くの如き者は、ひその身に及ぶ者なり」と。

天子に非ざれば礼を議せず、度を制せず、文を考へず。今は天下、車は軌を同じくし、書は文を同じくし、行なひは倫を同じくす。その位ありと雖も、苟もその徳なければ、敢て礼楽を作らず。その徳ありと雖も、苟もその位なければ、亦た敢て礼楽を作らず。

子曰く、「吾れ夏の礼を説く、杞は徴とするに足らざるなり。吾れ殷の礼を学ぶ、宋の存するあり。吾れ周の礼を学ぶ、今これを用ふ。吾れは周に従はん」と。

天下に王として三重あれば、其れ過ち寡なからんか。上なる者は、善しと雖も徴なければ信ならず、信ならざれば民従はず。下なる者は、善しと雖も尊からず、尊からざれば信ならず、信ならざれば民従はず。

  天下に王として三重あれば過ちはすくなからん信あれば民従ふ

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 伏見院

ゆふぐれの雲飛びみだれ荒れて吹く嵐のうちに時雨をぞきく (玉葉集)

むずかしい語はひとつもないが、「時雨」は万葉集には「九月の時雨」とか「十月時雨」とかの歌があって、新暦になおすと十一、二月ごろ、この歌は「冬の部」にはいっている。三句までが嵐吹く空の説明だが、くどいという感じはしないばかりか、けわしい雲ゆきの空をながめながらさむざむと降る時雨の音を聞いている。時雨だからひとしきり降るとすぐにやむ。やんだかと思うと遠くから降ってきてまたにわかにはげしい音を立てる。そういう情景を古今・新古今ふうの調べではない調べに乗せて歌ったのだ。はげしい嵐の中に聞こえる時雨、それは騒がしいようでもあるが静かでもある。それに耳を傾けている。心のうちはさびしさに堪えないのである。これもたいへん新しい感じの歌で、迢空もいうとおり、このような詠みぶりの歌はこれ以前にもこれ以後にもない。(略)何かと物を思わせられるけれど、こういう奇蹟のごときもやはりありうる。所詮は人である。

のどかにもやがてなりゆくけしきかなきのふの日かげ今日の春雨 (玉葉集)

さ夜深く月は霞みて水落つる木かげの池に蛙なくなり (風雅集)

われもかなし草木も心いたむらし秋風ふれて露くだるころ (玉葉集)

7月10日(木)

朝から、実に暑い。

今村翔吾『茜唄』上を読む。詳しくは下を読んで全体像がわかってからだが、平家物語の新解釈といったらよいか。なかなか興味深いのだ。

  けふわれは車前草を見つけたり草ずまふする妻と争ふ

  どちらが勝つか負くるかは時の運、草の強さも時にかかはる

  広っぱに這ひだして声高に草ずまふと妻は大声に争はむとす

『中庸』第十五章 大いなるかな、聖人の道。洋洋乎として万物を発育し、くして天にる。優優として大いなるかなな。礼儀三百、威儀三千、その人を待ちて而して後に行はる。故に曰く、「苟も至徳ならざれば、至道はらず」と。

故に君子は、徳性を尊び問学にり、広大を致して精微を尽くし、高明を極めて中庸にり、きを温めて新しきを知り、にして以て礼を崇ぶ。

是の故にに居りて驕らず、と為りてかず、国に道あれば、その言以て興すに足り、国に道なければ、その黙以て容れらるるに足る。詩に曰く、「既ににして且つ哲、以てその身を保つ」と。其れ此れを謂ふか。

  聖人たる者は道に明らかで思慮深いそれでわが身を保全する

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 伊藤佐千夫

高山も低山もなき地の果は見る目の前に天し垂れたり (同)

明治四十二年四十六歳の作。「二月二十八日九十九里浜に遊びて」と詞書ある七首中五首目の歌である。連作全部粒ぞろいで、晩年の傑作として名高い。佐千夫の出身地は千葉県成東町だから、九十九里浜は近くで故郷みたいなものだ。それでここも前後三回作っている。第一回は三十五年、この時はとりあげていうほどの作はないが、第二回は四十年、七首からなる「磯の月見」には

九十九里の磯のたひらは天地の四方の寄合に雲たむろせり

というような作もあって、この歌に迫るほどだが、なお語が勝ちすぎて美しい調べではあるけれど、うらむらくは歌を小さくしている。それにくらべると、これはその情景が大きいように歌も大きいのだ。高い山も低い山も何もないこの大地のはては、ただ目の前に天の大空が垂れさがっているばかりだ、とその心は大きい。しかもその大空は奥底知れず青いけれど、また何もないかのように暗い。かぎりもなしに澄みきっているようだが、またきびしくとざされているようだ。質実にしてまた淳朴、人生究極の寂寥感みたいなものがこもっている。親鸞を信じ歎異抄を耽読していた左千夫である。そういう宗教的なものも感じられる。重厚なしらべ、まれに見る丈高い歌である。

7月8日(火)

朝、少し風があるが、35℃になるらしい。暑い。

  トイレに行きうんこが出ぬ時のわが孤独たった一人に便器に坐る

  便器の上がほとけのいます場所なるかしばし動かず大便を出す

  独りにてトイレにこもり雲古するもっとも孤独なわれならむかな

『中庸』第十四章二 天地の道は、にして尽くすべきなり。その物たるならざれば、則ちその物を生ずること測られず。天地の道は、博きなり、厚きなり、高きなり、明らかなり、悠かなり、久しきなり。

今れ天は、斯のの多きなり。その窮まりなきに及びては、日月星辰り、万物も覆はる。今夫れ地は、の多きなり。その広厚なるに及びては、を載せて重しとせず、河海を振めて洩らさず、万物も載る。今夫れ山は、の多きなり。その広大なるに及びては、草木これに生じ、禽獣これに居り、宝蔵興る。今夫れ水は、一勺の多きなり。その測られざるに及びては、生じ、貨財殖す。

詩に曰く、「惟れ天の命、於穆として已まず」と。蓋し天の天たる所以を曰ふなり。

「、いに顕かなり、文王の徳の純なる」と。蓋し文王の文たる所以を曰ふなり。純も亦た已まず。

  惟れ天の命はああ穆として已まず文王の徳も純一なり

前川佐美雄『秀歌十二月』八月 伊藤佐千夫

庭のべの水づく木立に枝たかく青蛙鳴くあけがたの月 (伊藤佐千夫歌集)

「水籠十首」中九首目の歌。詞書がある。「八月二十六日、洪水俄かに家を浸し、床上二尺に及びぬ。みづく荒屋の片隅に棚ようの怪しき床をしつらひつつ、家守るべく住み残りたる三人四人が茲に十日余りの水ごもり、いぶせき中の歌おもひも聊か心なぐさのすさびにこそ」と、明治四十年左千夫四十四歳の時だった。今もそうであるように、東京の本所深川へんはよく水の浸くところ。佐千夫はそのあたりに住んでいたから、この時と前後三回その害をこうむっている。四十三年がもっともひどかったらしく、床上水五尺、辛うじて人間と、飼っていたウシだけが助かったという。それでも「心なぐさのすさび」であったのか、初めての三十三年には「こほろぎ」十首を、四十三年には「水害の疲れ」六首を作っている。

うからやから皆にがしやりて独居る水づく庵に鳴くきりぎりす (三十三年)

水害ののがれを未だかへり得ず仮住の家に秋寒くなりぬ (四十三年)

いずれもその中の佳作であるが、しかもなお「庭のべの水づく」歌には及ばないようだ。青蛙はむろん雨蛙だが、「雨」をいったのでは水に即きすぎる。それよりは青い色をいいたかった。あけがたの月に対して「青蛙」が新鮮に感じられるからだ。その雨蛙があけがたの月に鳴くというのだから、雨はとっくにやんで空は澄んでいたのだ。
が、水はなかなかひかない。疲労と不安に一夜まんじりともしなかった朝がただけに、その月の光がただならぬように感じられた。まして時ならぬ雨蛙の声だ。異様な感じがして、荒涼ひとしお加わる思いがしたのである。土屋文明は「青蛙鳴く明けがたの月」の名詞止めのところに俳句調を感じるといったが、そういえば下句全体が俳句調であるよりは俳句的なのではあるまいか。これはやはり子規からきているものと思われるけれど、それよりは子規の即興的で、一首のあとつづけて幾首か作るという、その連作なるものを、それを作歌態度として承けついでいることの方が重大である。この歌にしても十首連作の中の一つであり、他の二回の水害の場合も同じであったが、子規とちがうのはそれはもはや即興などではなく、一首々々を丹念に精魂をこめて作るという文学者的態度に変ってきている。(略)なお左千夫はたれでもが知っている有名な

牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる

の柄の大きい堂々とした歌でもわあるように、本業は牛乳搾取業だったのだから、牛飼いにはちがいない。何頭かの牛の飼われている小屋が水びたりになっている。そんお情景を思いうかべてこの歌を味わいたい。

7月7日(月)

雨降ってくれないかなあ。今日も暑い。七夕星も困るだろう。

  ぬかるみを長靴履きて深みへと溺れるごとく歩みゆきたり

  ぬかるみに読みさしの手紙を千切り捨て彼女の思ひに応へることなし

  ぽたりぽたり雨の溜りて落ちてくるこの家にあり何ともしがたし

『中庸』第十四章一 誠なる者は自ら成るなり。而して道は自らくなり。誠なる者は物の終始なり。誠ならざれば物なし。是の故に君子はこれを誠にするを貴しと為す。誠なる者は自ら己れを成すのみに非ざるなり、物を成す所以なり。己れを成すは仁なり。物を成すは知なり。性の徳なり。外内を合するの道なり。故に時にこれを措きて宜しきなり。

故に至誠はむことなし。息まざれば則ち久しく、久しければ則ちあり。徴あれば則ち悠遠なり、悠遠なれば則ち博厚なり、博厚なれば則ち高明なり。博厚は物を載する所以なり、高明は物を覆ふ所以なり、悠久は物を成す所以なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久はりなし。此くの如き者は、さずしてはれ、動かずして変じ、為す無くして成る。

  誠こそ貫くものぞかくなればことさら作為なくとも成らむ

前川佐美雄『秀歌十二月』七月 釈迢空

まれまれに我をおひこす巡礼の跫音にあらし遠くなりつつ (歌集・春のことぶれ)

昭和二年八月十一日、千樫の訃を迢空は土佐国室戸崎で知った。千樫と迢空はとくに深い友情関係にあり、大正十三年四月、ともにアララギを去って、北原白秋らの『日光』創刊に参与したのも千樫のすすめによるものであった。その親友の訃をたまたま旅先の室戸崎で聞いたのだ。四国八十八か所、第二十四番の札所、最御崎寺で聞いたのだ。(略)迢空はその悲報に心くずおれ、がっくりしたのであろう。あの長い石段の坂道をのぼる元気もなしに立ちたたずんでいたのか。深い悲しみの心のうちを影びとのように巡礼の足おとが過ぎて去る。その足おとは黄泉の国に急ぐ千樫の足おととも思われたのか。生きている自分を残しておいて音なく過ぎ去る、その夢ともうつつともわからないような状態を「跫音にあらし」と表現した。「まれまれに」「おひこす」

「遠くなりつつ」みないずれもはかなくも悲しきこの世の声だ。この歌につづく次の歌も秀歌の聞こえが高い。

なき人の今日は七日になりぬらむ遇ふ人もあふ人もみな旅人

迢空の歌はさらによくなって、晩年新境地をひらく。学問の方は本名折口信夫でとおした。

7月6日(日)

またまた暑い。

  夢のうちにビルケナウちふ地名ありアウシュビッツの名称なりき

  ナチス・ドイツがもっとも多く犠牲者を出したる絶滅収容所なり

  ビルケナウに行かねばならぬと思へどもおそらくわれにはかなはざること

『中庸』第十三章 至誠の道は、以て善知すべし。国家将に興らんとすれば、必ずあり。国家将に亡びんとすれば、必ずあり。にはれ、四体に動く。禍福将に至らんとすれば、善も必ず先にこれを知り、不善も必ず先にこれを知る。故に至誠は神の如し。

子曰く、「鬼神の徳たる、其れ盛んなるかな。これを視れども見えず、これを聴けども聞こえず、物を体して遺すべからず。天下の人をして、斉明盛服して、以て祭祀をけしむ。洋洋乎として、その上に在るが如く、その左右に在るが如し」と。

詩に曰く、「のるは、るべからず、んやうべけんや」と。

れ微の顕なる、誠のふべからざるは、此くの如きかな。

  そもそもは微の顕たるといふべしや誠があれば隠れることなし

前川佐美雄『秀歌十二月』 釈迢空

葛の花踏みしだかれて色あたらあしこの山道を行きし人あり (歌集・海やまのあひだ)

迢空の歌は、(略)特殊な表記法によっている。このクズの花の歌にしても、

葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり

と書かれており、これにつづく歌は

谷々に、家居ちりぼひ ひそけさよ。山の木の間に息づく。われは

というふうである。これについて『海やまのあひだ』の後記に「私が、歌にきれ目を入れる事は、(略)文字に表される文学としては、当然とるべき形式」「歌の様式の固定を、自由な推移に導く予期から出てゐる」などと、くわしくその理由を説明しているが、迢空自身が「私の友だちはみな、つまらない努力だといったとしるしている。(略)しかし迢空はそれをやめなかった。たれが何といおうといっさいとりあわなかった。断固として生涯それでおしとおしたのである。

『海やまのあひだ』は迢空の処女歌集で、大正十四年の刊行である。正直にいってその特殊な表記法にはいくらかのこだわりを感じたけれど、それでも何となく心ひかれるものがあった。この歌集は明治三十七年ごろのごく初期の作から逆年順に配列されてあって、これは大正十三年「島山」十四首中の第一首目の歌、巻頭に置かれてある。

「クズ」は山野に自生する多年生蔓草。晩夏初秋ころの葉腋に花穂を出し、紅紫色の蝶型花をつづる。フジの花を立てたような形に咲く、秋の七種のひとつである。「踏みしだかれて」は、踏みあらされて、または踏みつぶされ踏み乱されていうぐらい。「色あたらし」は、踏みつぶされて花がかえってなまなましく新鮮に感じられることをいっている。わかりやすい歌で、ほとんど解説を要せぬほどだが、しかし深い沈黙と孤独を感じる。それはいずこの島山であるかを知らなくても、クズがいっぱいにはびこっている山道である。長い峠なのだろうが、そこを越えないかぎり目的地にはたどりつけない。蒸すような草いきれである。暑い日ざしに汗あえながら、ひとり黙々と歩いている。その時、自分より先に通った人のあるのを知った。クズの花がふみしだかれていたのだ。まったく孤絶したひとときだっただけに、驚きに似た人なつかしさを感じた。これは事実そのままを叙したのだけれど、一音多くして終止形にした三句は、その踏み乱されたクズの花を見て立ちどまっている旅人のおもかげが見えるし、

またそれゆえにわりあい単調な下句が救われているだけでなく、このような山道を自分より先に通り過ぎた人があったということに対する感慨、その未知未見の人とのかりそめならぬ所縁を心ふかく思っているやうなおもむきもある。迢空は生涯妻帯をしなかった人だ。そういう人のどこかさびしそうなうしろかげを感じさせる歌で、早くより迢空の代表作として膾炙している。

7月5日(土)

朝から晴れている。昨日より二℃ほど上がるらしい。暑い。

  牛のごとくこの丘のにたたずめば見るもの聞くもの新鮮なりき

  乳牛の乳をこそ指に搾りだすこの丘の上牛舎ありけり

  乳牛を近くに見しはをさなき頃恐ろしくしてやがて親しむ

『中庸』第十二章 誠なるり明らかになる、これを性と謂ふ。明らかなる自り誠なる、これを教えと謂ふ。誠なれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち誠なり。

唯だ天下の至誠のみ、能くその性を尽くすと為す。能くその性を尽くせば、則ち能く人の性を尽くす。能く人の性を尽くせば、則ち能く物の性を尽くす。能く物の性を尽くせば、則ち天地を以て化育を賛くべし。以て天地の化育をくべくんば、則ち以て天地と参なるべし。

その次は曲を致す。曲に能く誠あり。誠なれば則ちはれ、形はるれば則ち著るしく、著るしければ則ち明らかに、明らかなれば則ち動かし、動かせば則ち変じ、変ずれば則ち化す.唯だ天下の至誠のみ、能く化すると為す。

  人間の独自の役割を果たしてこそ天地とならびたち参となるべき

前川佐美雄『秀歌十二月』七月 

今は吾は侘びそしにける生きの緒に思ひし君をゆるさく思へば (同・六四四)

「侘びそしにける」は気力が抜けて心の沈みきっている状態。「生きの緒」は命の綱というほどの意。「ゆるさく」は、放任、放念で、ゆるめ放ちやるの意、ゆるそうとすること。一首目の意は、「今の私はすっかり生きる気力をなくした。命の綱とも信頼していた人だけに、もうほおっておくより仕方がない。したいままにゆるすほかないと思うと」ということになる。ほかの女に心変わりした相手の男(略)命がけで愛してきた男だったのに、もはやせんすべもないあきらめている。心身を労して困憊しきっている状態さながらに歌われていてあわれである。とくにその調べに心うたれる。

「今は吾は侘びそしにける」と悲観しきっている一、二句の出かけからして、いいようもないあわれを感じる。一時代前とはちがう。やはり天平の文化に浴した人の歌である。知的複雑である。繊細な心理をのべていて、しかも鋭い。しきりに近代を感じさせる。

巻四相聞のなかの紀郎女の「怨恨の歌三首」の二首目の歌である。(略)他の二首も思い深い秀歌である。

世間の女にしあらばわが渡る痛背の河を渡りかねめや (同・六四三)

白妙の袖別るべき日を近み心にむせひ哭のみし泣かゆ (同・六四五)